「ハインリヒ・バッハ」の版間の差分

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== 生涯 ==
ヴェヒマル出身。幼時に父を亡くした後、長兄の[[ヨハネス・バッハ]]から音楽教育を受けた。ヨハネスとハインリヒはヴェヒマルから[[ズール]]、ついで[[シュヴァインフルト]]に移った。[[1635年]]にヨハネスが[[エアフルト]]の楽師に就任すると、そのもとで楽隊に加わった。[[1641年]]に[[アルンシュタット]]の聖マリア教会と上教会のオルガニストとなり、死去するまで50年余りその職を務めた。
 
[[1642年]]にズールの都市楽師ヨハネス・クリストフ・ホフマンの娘エヴァ・ホフマンと結婚し、[[ヨハン・クリストフ・バッハ]]、[[ヨハン・ミヒャエル・バッハ]]、[[ヨハン・ギュンター・バッハ]]の3人の息子をもうけ、いずれも音楽家になった。[[バッハ家]]のなかで彼の系統をアルンシュタット系統という。