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|製造数=8,000万-1億丁以上
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'''AK-47'''({{翻字併記|ru|Автомат Калашникова образца 1947 года|Avtomat Kalashnikova-47|区=、}})は、[[ミハイル・カラシニコフ]]が設計、[[1949年]],[[ソビエト連邦軍]]が制式採用した[[自動小銃]]である。
 
実戦の苛酷な使用環境や、戦時下の劣悪な生産施設での生産可能性を考慮して、部品の[[公差]]が大きく取られ、卓越した信頼性と耐久性、および高い生産の容易性を実現することに成功した
 
この特性から、本銃は[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソビエト連邦]]のみならず、全世界に普及した。基本設計から半世紀以上を経た今日においても、本銃とその派生型は、[[砂漠]]や[[ジャングル]]、極地など、あらゆる世界の紛争地帯における軍隊や武装勢力の兵士にとって、最も信頼される基本装備になり、『[[世界]]で最も多く使われた軍用銃』として[[ギネス世界記録]]に登録されている<ref>{{Cite web
| last =
| first =
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== 開発 ==
元々[[赤軍]]の戦車兵だった[[ミハイル・カラシニコフ]]は、負傷による入院中に銃器設計への関心を強め、1942年から小火器設計に関わり始めた{{sfn|ホビージャパン|2014|p=59-62}}
 
1940年代中頃、カラシニコフを含む複数の設計者は、火薬量を抑え反動を軽減した[[中間弾薬]]の一種である新型弾薬[[7.62x39mm弾]]を用いるセミオートマチック・カービンの設計に着手する。最終的に{{仮リンク|セルゲイ・シモノフ|en|Sergei Gavrilovich Simonov}}の設計案が支持され、1945年に[[SKSカービン]]として採用された。この時、ソ連当局では並行し[[ナチス・ドイツ]]が[[独ソ戦]]において投入した[[StG44 (突撃銃)|StG44]]と同種の、いわゆる「アサルトライフル」開発を計画していた。最有力候補は、短機関銃の設計者として著名な[[アレクセイ・スダエフ]]が手がけた{{仮リンク|AS-44|ru|АС-44}}突撃銃だったが、スダエフの死去により頓挫している。ほかにも、さまざまな設計案が提出されてきたが、戦後の1946年にカラシニコフが提出したAK-46という設計案が最初の審査に合格する。カラシニコフは1年を費やしさらなる改良を重ね、1948年には最優秀の設計案として限定的な先行量産が決定した。そして軍での試験的な運用を経て、1949年にはついに[[ソビエト連邦軍]]の主力小銃として制式採用されたのである{{sfn|ホビージャパン|2014|p=63-65}}。
 
戦車兵だったカラシニコフは設計者としての専門的な教育を受けていなかったため、AK-47設計の際も正しい設計図面を描けなかった。彼に代わって図面を描いたのは、後に妻となる女性技師エカテリーナ・ヴィクトロヴナ・モイセーエフ(Ekaterina Viktorovna Moiseyeva)であった{{sfn|ホビージャパン|2014|p=66}}<ref>{{Cite web |author= |date= |url= http://en.museum-mtk.ru/armourers/kalashnikov/biography/ |title= Biography |work= |publisher= M.T. Kalashnikov Museum and Exhibition Small Arms Complex |accessdate=2015-04-28}}</ref>。
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AK-47は、[[7.62x39mm弾|7.62x39mm]]の[[口径]]を持つ銃で、[[実包]]は[[バナナ]]型といわれることもある30発入りの[[弾倉#バリエーション|箱型弾倉]]、または75発入りの[[弾倉#バリエーション|ドラム型弾倉]]に収められている。一度弾を込めて発射すると、発射時に発生する高圧ガスを[[銃口]]手前から引き込んで、重いピストン・ボルトキャリアーを後方に押し下げ、再び前進する際に次の弾を薬室へ押し出し、自動的に再装填するようになっている。この射撃と送弾を連続的に行うことにより連射が可能となり、AK-47は一分間に600発以上の速度で射撃ができる。
 
[[銃床]]内に、メンテナンス器具が収められるスペースが設けられており、バットプレート中央にそれらを収納するための蓋が付いている。
 
AK-47専用[[銃剣]]として、'''[[AK系アサルトライフルの銃剣#6kh2|6kh2]]'''が採用された。[[トカレフM1940半自動小銃|SVT-40]]に使われていたM1940銃剣の改良型である。銃本体には銃剣取り付け用のラグが無いため、マズルプロテクターの段差と、バレルを利用して固定する。
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;I型
:最初期のI型では、[[StG44 (突撃銃)|StG44]]と同様にレシーバー(機関部)を[[プレス加工]]で製造し、強度が必要な箇所にはスチールパーツが溶接ないしリベット打ちで取り付けられていた。しかし、当時の[[ソビエト連邦|ソ連]]にはプレス加工とリベット加工に必要な技術力が不足していた為、強度不足による不具合が多発した。また、生産コストの削減を目的としたプレス加工も、技術不足により従来の[[削り出し|切削加工]]以上のコストが掛かったという。I型には着剣装置は設けられていなかった。1949年から1953~1953年にかけて、50万丁から100~100万丁ほどが量産されたとされる{{sfn|ホビージャパン|2014|p=10-12}}。
 
;II型
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'''AKMSU'''は、車両・[[ヘリコプター|ヘリ]]搭乗員および[[特殊部隊]]用に設計された、AKMSの[[カービン]]仕様である。{{要出典|date=2016年10月}}
 
[[銃砲身|銃身]]を270mmにまで短縮化、それに合わせフォアエンドぎりぎりまでガスピストンとシリンダーを短縮化させたことに伴い、以下の改良が施された。
* 照準線の長さを確保するため、ヒンジ式にして固定を強化したレシーバーカバー上面に、固定式照門を装着。
* ガス圧作動機構の動作を安定させると共に、発射炎で射手の眼が眩まないように、[[銃口]]部分に大型の[[フラッシュサプレッサー|フラッシュハイダー]]を装備。
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; RPK(軽機関銃)
: [[ファイル:Machine Gun RPK.jpg|thumb|200px|right|75連装[[弾倉#バリエーション|ドラム型弾倉]]を装着したRPK軽機関銃]]
: RPKは、[[RPD軽機関銃|RPD]](軽機関銃)の後継[[分隊支援火器]]として[[1961年]]に制式採用された分隊支援火器である。AKMから派生した。
: {{main|RPK軽機関銃}}
; PK(軽機関銃)
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== 運用国 ==
{{節stub}}
一例のみ紹介。紛争地帯などにおいては[[56式自動歩槍]]と混合されているものや密造されたものも含まれている。
*{{RUS}}
*{{AFG}}
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== 特徴と逸話 ==
[[ファイル:Misccaparms.jpg|200px|thumb|[[イラク]][[ファルージャ]]で[[アメリカ海兵隊]]によって[[鹵獲]]された武器。左から一番目がAKM、三番目がAKMS]]
AK-47は信頼性が高いことが最大の特徴であり、扱いが多少乱暴でも確実に動作する。これは、[[ミハイル・カラシニコフ]]が設計の段階で変化に富んだ[[ソビエト連邦|ソ連]]の気候を想定し、部品同士のクリアランスを大きめに取り、多少の[[泥]]や[[砂]]、高温または寒冷地における金属の変形、生産時の技術不足による部品精度低下が起きても、問題なく動作するよう考慮したためである。故に極寒地や[[砂漠]]地帯の[[兵士]]からも信頼が寄せられている。特に機関部は、内側に泥や砂などが入っても、軽く水洗いすれば射撃できるほどである。以下に特徴を挙げる。
 
=== ユニット化と故障の少なさ ===
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: 現在でも、[[イラク戦争]]における北部[[クルド人]]勢力にはもっぱらロシア製装備が供与されているほか、治安部隊へ供給されている装備の大部分は安価な中国製[[小火器]]であり、[[イラン]]などが[[イラク]]各地の[[シーア派]]武装勢力に供給している兵器の多くも中国製である。
: [[アフリカ]]諸国においては、[[1960年代]]の独立闘争の際、ソ連や中国の兵器供与を得たが、特に[[ソマリア]]では[[モハメド・シアド・バーレ|バーレ]]政権が崩壊したことにより軍隊から大量の武器が武装勢力など民間に流れ、また[[リベリア]]や[[シエラレオネ]]など[[西アフリカ]]では[[冷戦]]終結後の[[1990年代]]、[[社会主義人民リビア・アラブ国|リビア]]の政略によりユーゴスラビアやルーマニアといった東欧諸国などから流入した兵器が親リビア勢力に供与された。これらのAKがあふれた状況は、内戦の終結を難しくしている一因となっている。
: 現在、[[アフガニスタン]]やイラクで活動している特殊部隊や[[民間軍事会社]](PMSCs)の社員には、M16系ではなく[[7.62x39mm弾|7.62mm]][[口径]]のAKを使う者も多い。これは、信頼性のみならず、7.62mm口径の高威力や、弾薬と部品の補給が容易だからでもある。特にPMSCsは軍に比べ部品供給が遅いため、故障・破損しても即座に修理・代替することができるAKの人気は高い。
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=== 大量破壊兵器の象徴 ===
: ソビエト連邦は冷戦期、[[東側諸国|東側]]友好国に対して大量のAKを供与した。また、一部の国々に対しては[[ライセンス生産]]も認めた。このため、7.62mm口径のAKは莫大な数が生産されており、世界で最も大量に生産された[[小銃]]といわれている。
: 金属材料の質や熱処理、加工精度・表面処理が多少悪くても実戦で使用できる品質のものが製造できてしまうため、発展途上国においては[[海賊版]]が多数出回っている。[[アムネスティ・インターナショナル]]などの団体によるコントロール・アームズ・キャンペーンは、生産設備が拡散している為に、[[世界]]中で不正な[[武器商人]]や武装民兵、犯罪者がAK-47を容易に入手しており、[[大量破壊兵器]]として紛争や[[貧困]]を助長していると指摘している。
: コントロール・アームズが、[[2006年]]に発表した報告書『{{en|The AK-47: the world's favourite killing machine}}('''AK-47:世界最強の殺人マシーン''')』によれば、世界中で約5~7,000,000丁ほどのAK-47が流通しているという<ref name="2006_report">{{Cite web |date= 2006-06-26 |url= http://www.oxfam.de/files/20060623_theak47_200kb.pdf |title=The AK-47: the world's favourite killing machine |format=PDF |publisher= controlarms.org |accessdate=2011-10-12 }}</ref><ref name="amnes20060627">{{Cite web |date=2006-06-27|url= http://www.amnesty.or.jp/news/2006/0627_523.html |title= AK-47:世界で最も野放しになっている武器 |accessdate=2015-04-08}}</ref>。同報告書は、これらのAKが多数の武装勢力による紛争、[[テロリズム|テロリスト]]などに使用され、[[開発途上国|発展途上国]]で多大な被害をもたらしているとしている。
: また、開発者[[ミハイル・カラシニコフ]]自身も、この様な使用は本意ではなく、「コントロール・アームズ」キャンペーンに寄せた声明の中で、「武器の売買に関する国際的な規制が欠如しているため、小型武器は容易に世界に拡散し、国防のためだけでなく、侵略者や[[テロリスト]]など、あらゆる犯罪者によって使用されている。私は、[[テレビ]]で犯罪者がカラシニコフを手にしているのを見る時、どうやって彼らはこの武器を手にしたのだろうかと、自らに問い続けている」と述べている<ref name="amnes20060627"/>。カラシニコフはAK-47をあくまでも国防の為に設計したのであり、犯罪や紛争に使われている現状をしばしば憂いていた<ref>{{Cite news |author= |date= |url= http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312230324.html |title=カラシニコフ氏が死去 自動小銃「AK47」を開発 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2015-04-09}}</ref>。
: [[2004年]]、85歳の[[誕生日]]を前にカラシニコフは「中華人民共和国などがライセンス切れにもかかわらず、AKの製造を続けている。それが紛争地に出回り、AKの評価を落としているのは悲しいことだ」と、[[朝日新聞社]]の取材に述べている<ref>{{Cite news |date=2004-11-21|url= http://www.asahi.com/international/update/1121/002.html|title=「紛争地に自分の銃、悲しい」自動小銃AK47の開発者 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041123033642/http://www.asahi.com/international/update/1121/002.html |archivedate=2004-11-23 |accessdate=2015-04-09}}</ref>。
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=== 模造品の氾濫 ===
: [[テロリスト]]や[[傭兵]](非戦闘員)が使用しているのは、ほとんどがAK-47の[[コピー商品|非正規・コピー品]]である。[[中華人民共和国]]の[[中国北方工業公司]]は、[[ライセンス]]切れのため、改造箇所を根拠に自社製品としてAK系を製造し続けており、中には民間向けのスポーツ射撃用のものまである。
: [[2006年]]の時点で、AKの製造ライセンスを持つのは、カラシニコフが籍を置く後述の[[イジェフスク機械製作工場|イズマッシュ]]社のみだが、過去にAKのライセンス生産を行っていた国々の大半は製造を継続しており、輸出も行なわれている。さらに、AKは構造が単純で、部品の誤差を許容する設計から密造品も多く、これら不正規品を含めたAKの総数は、1億丁を超えるのではないかと推測されているが、正確な生産規模は把握されていない。
: [[日本]]においても、[[オウム真理教]]が発展型である[[AK-74]]を基に銃密造を企てていた([[自動小銃密造事件]])ことが発覚したが、外観とは別に、銃身内径を正確に切削できず、発射に危険が伴う水準のもので、[[日本の警察|警察]]の追及もあって、量産には至らなかった。
: イズマッシュ社のウラジミル・グロデツキーは、2006年の製品発表会で「ロシア製のAKは世界全体に流通しているうちの12%程度」と発言している。
: [[パキスタン]]の[[連邦直轄部族地域]]に在る[[:en:Darra Adam Khel|ダッラ村]]では、旋盤などの簡単な工作機械しか持たない「村の鍛冶屋」のような工房で製造されているが、正規品と異なる材質の鋼材を用い熱処理・表面処理も不充分なため耐久性に難があり、連射で銃身が加熱すると溶けはじめてしまう水準の製品である。元傭兵の[[高部正樹]]は、[[ルーマニア]]製AKM('''AIM''')は[[弾倉]]着脱に難があり、また、何弾倉分かを連射すると銃身が曲がってくるなど酷評されていたと語っている。
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=== アメリカ合衆国における流通 ===
: 信頼性の高さが伝説級ということもあり、[[アメリカ合衆国]]でも根強い需要があり、広く流通している。
: アメリカの民生市場での流通は、1980年代にエジプト製ARMが輸入されたのが最初とされ、その後は中国製ユーゴスラビア製のAKが輸入された。やがて中国製銃器輸入は規制されたが、[[冷戦]]終結に伴い東欧製AKが大量に輸入され、以後はロシア製を含む、世界各国で製造されたAKが流通することとなった{{sfn|ホビージャパン|2014|p=28}}。
: [[1995年]]には、[[アメリカ合衆国連邦政府]]がAKをアサルト・ウエポン規制法(殺傷能力の高い銃規制の時限立法)の対象とし、アメリカ国内において販売が禁止されたものの、[[2004年]]に[[時限法]]が失効したため、再び販売が再開された(詳細は、[[アメリカ合衆国の銃規制]]を参照のこと)。
: [[2010年]]、[[フロリダ州]]の自動車販売店では、[[貨物自動車|トラック]]1台につきAK-47の引換券を付けて販売したところ、大きく売り上げを伸ばした事により話題となった<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2775466?pid=6469878|title=車のおまけは自動小銃?米自動車店が仰天キャンペーン|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2010-11-16|accessdate=2014-07-20}}</ref>。