「イタリア社会党」の版間の差分
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== 概要 ==
[[1892年]]に、[[労働
[[第二次世界大戦]]後は、長らく[[キリスト教民主主義 (イタリア 1942-1994)|キリスト教民主主義]]、[[イタリア民主社会党|民主社会党]]、[[共和党 (イタリア)|共和党]]と[[中道左派]][[連立政権]]を組み、1980年代には同党の[[ベッティーノ・クラクシ]]が首相となり[[戦後]]イタリア史上最長の内閣となるなどで[[政権]]の中枢になったが、1990年代に[[汚職]]事件[[捜査]]の対象となり、クラクシは[[チュニジア]]へ[[亡命]](同地で客死)。
[[政治改革]]推進の下、[[小選挙区比例代表並立制]]が導入されると、汚職事件に対する国民の糾弾もあり、1994年の総選挙では僅か14議席の獲得にとどまり、党名変更などを行うも党勢は大きく衰退した。
1998年には、クラクシ元首相の路線とは一線を画すボゼッリらがイタリア社会党の再建を期して[[イタリア民主社会主義者]](SDI)を結成し、イタリア社会党は事実上、解体した。
その後、クラクシの息子やクラクシのもとで活躍したデ=ミケリス元外相らがボゼッリらのSDIとは別に[[新イタリア社会党]](NPSI)を結成。ただし、NPSIは[[シルヴィオ・ベルルスコーニ]][[中道右派]]政権の連立[[与党]]であり、現在のイタリアの社会民主主義勢力の中心は[[民主党 (イタリア)|民主党]]である。
== 党史 ==
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