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== 歴史 ==
古くは材料を[[竹]]の棒に筒状に巻いて作った。その形が[[蒲]](がま)の穂に似ていることから、「蒲鉾」と呼ばれるようになったとされる。この最初期の蒲鉾は現在のような[[海水魚]]ではなく、主に[[淡水魚]]の[[ナマズ]]を原料としていた。竹を抜き去ると現在の[[竹輪]]の形になる。後に板の上に成形した「板蒲鉾」が登場し、区別のために「竹輪蒲鉾」と呼び分けていたが、元祖の方は「蒲鉾」が脱落して単に「ちくわ」となり、板蒲鉾の方は逆に板が外れて「蒲鉾」になった<ref>[[DON!]] 全国かまぼこ連合会 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]] [[2010年]][[9月28日]]放映。</ref>。[[平安時代]]の『[[類聚雑要抄]]』には[[藤原忠実]]が永久3年([[1115年]])に[[転居]]祝いに[[宴会]]を開いた時の[[串]]を刺したかまぼこが載っている。これを確認できる最古の文献上のかまぼこであるとして、業界団体がその数字をとって[[11月15日]]を蒲鉾の日としている<ref name="odawara">{{cite web|url=http://www.kamaboko.or.jp/saijiki.html|title=かまぼこ歳時記 11月15日は『かまぼこの日』|publisher=小田原蒲鉾協同組合|accessdate=2013-06-11}}</ref>。
 
白身の魚は高価であり、蒲鉾もご馳走と考えられた。時に[[贈答品]]として用いられ、[[御節料理]]にも利用される。[[豊臣秀頼]]の大好物であったと伝えられ、[[本能寺]]での[[織田信長]]の最後の晩餐にも供された。なお、かまぼこが商品として販売されるようになったのは[[江戸時代]]以降とされる。