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RJANKA (会話 | 投稿記録)
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; 東京
: 東京は[[江戸時代]]以来、下町に人口が集中していたが、大正5年([[1916年]])頃から東京への人口集中が更に進み、下町では住宅不足に陥っていた。そのため、林やススキの草原だった武蔵野や多摩で宅地開発が行われるようになり、火葬場も下町からこれらの地域に移転した。[[1921年]](大正10年)になると、当時はまだ[[インターアーバン]]であった京王電気軌道(現・[[京王電鉄]])に霊柩電車を走らせる計画が浮上した。京王線沿線には[[多磨霊園]]があり、京王線から霊園まで既存の道路に[[軌道 (鉄道)|軌道]]を敷設することを想定していたが、大阪同様に都市化の進行とともに自動車が普及し、この計画も実現されなかった<ref>『[[#小川 (2010)|封印された鉄道史]]』(p44, p45)</ref>。
 
{{main2|海外の事例|:en:Funeral train}}
 
== 脚注 ==