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1991年から[[文京女子短期大学]]教授、1993年から[[東京芸術劇場]]館長兼務、2002年に文京女子短期大学は[[文京学院大学]]短期大学に名称変更して同教授。2004年に同客員教授<ref>朝日新聞人物データベースより</ref>。2007年、東京芸術劇場名誉館長<ref>読売人物データベースより</ref>。
 
オズボーン、ウエスカー、アーデンなどイギリス現代演劇の紹介、翻訳につとめる<ref>日外アソシエーツ現代人物情報より</ref>。1966年、[[池田健太郎]]とともに[[文学座]]「文芸部顧問」として参加、翌1967年「顧問」から「座員」に<ref>『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P68)P.68-70</ref>。文学座でのシェイクスピア上演をめざしたが、1970年に退団<ref>『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P79)P.79</ref>。
 
その後、1972年、演出の[[出口典雄]]からの誘いにより<ref>『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P78</ref>、小田島訳シェイクスピア作品が初めて文学座により上演される<ref>日外アソシエーツ現代人物情報より</ref>。
 
シェイクスピアの全戯曲37編の個人全訳に取り組み、1973年よりから「シェイクスピア全集」(全7巻,白水社)刊行開始。1975年からの、文学座から独立した[[出口典雄]]の[[シェイクスピア・シアター]]の上演に翻訳を提供したこともあり<ref>『ぼくは人生の観客です』(日本経済新聞社)P.81</ref>、1980年に全作品を訳了した<ref>日外アソシエーツ現代人物情報より</ref>。シェイクスピアの個人全訳は、故坪内逍遙についで2人目<ref>日外アソシエーツ現代人物情報より</ref>。[[1980年]]に[[芸術選奨文部大臣賞]]を受賞。

[[1995年]]、[[紫綬褒章]]を受章、[[2002年]]、[[文化功労者]]に選ばれる。[[2008年]]、新人を対象に[[小田島雄志翻訳戯曲賞]]が制定された。
 
[[駄洒落]]を得意とし、シェイクスピア作品に頻出する[[言葉遊び]](パン)を「[[皇太子]]だろうが[[辛子明太子|明太子]]だろうが」([[ヘンリー六世 (シェイクスピア)|ヘンリー六世]]より)といった調子で訳して話題を呼んだ。様々に訳されてきた『[[ハムレット]]』の有名な台詞「{{lang|en|To be, or not to be}}」 を「このままでいいのか、いけないのか」と訳したことも知られる。[[テレビ]]の[[バラエティ番組]]などにもしばしば出演、駄洒落を連発する飾らない人柄が愛された。