「島津忠将」の版間の差分

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兄・[[島津貴久]]が島津宗家を継いだため、薩摩島津氏の分家・相州家を継ぐ。武勇に長けた人物で、貴久をよく補佐して各地を転戦。領内統一戦のほとんどに参加し武功を挙げた。[[天文 (元号)|天文]]17年([[1548年]])、[[大隅国|大隅]][[肝付氏]]・[[日向国|日向]][[伊東氏]]の備えとして要衝・大隅[[清水城 (大隅国)|清水城]]の城主となる。
 
[[永禄]]4年([[1561年]])、大隅[[廻城]]城主([[廻正元]])の目が不自由であることにつけこみ、[[肝付兼続]]が廻城を奪った。これに対し、主君・貴久は忠将と長子の[[島津義久]]を向かわせた。忠将は竹原山に陣を構えていたが、突出した味方の[[町田久倍]]を救おうとしたところ、兼続の攻撃を受け戦死した。弟を討たれた貴久は自ら軍を率い出陣し兼続を撃退、廻城を奪還している。
 
なお、忠将が討ち取られた場所には供養塔が建立されている。