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[[ファイル:Burg Hohenzollern ak.jpg|200px|thumb|ホーエンツォレルン城]]
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'''ホーエンツォレルン城'''(ホーエンツォレルンじょう、[[ドイツ語{{lang-de|独]]:'''Burg Hohenzollern'''}})は、[[ドイツ帝国]](ドイツ第二帝国)の[[皇帝]]の[[ホーエンツォレルン家]]の発祥の地の城であり、[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]の[[シュヴァーベン]]地方の[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]の[[テュービンゲン行政管区]](県)[[ツォレルン・アルプ郡]]の[[ヘヒンゲン]]の南の海抜855mの円錐形の山にある。現在の城は[[フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム4世]]がプロイセン王になる前の太子であった時に再建を決めたもので、没後の[[1867年]]に完成したものである。
 
== ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家と空中楼閣 Castro Zolre ==
ホーエンツォレルン家については[[11世紀]]までしかさかのぼれない。ホーエンツォレルン家の元の名であるツォレルン家の名は[[1061年]]にベルトルト・フォン・ライヒェナウの年代記に初めて現れる。シュヴァーベンの一部を支配するのはツォレルン伯爵であった。[[1218年]](または[[1214年]])にツォレルン家は領地の分割を行って長男の[[コンラート1世 (ニュルンベルク城伯)|コンラート1世]]が[[フランケン地方|フランケン]]の領地と[[ニュルンベルク城伯]]の地位を得て後の[[プロイセン王国]]の王家の祖となる一方、次男の[[フリードリヒ2世 (ニュルンベルク城伯)|フリードリヒ2世]]はシュヴァーベンの領地とツォレルン伯爵の地位を得た。この血統は後にホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家と呼ばれる。シュヴァーベンの空中楼閣 Castro Zolreについて[[1267年]]に言及されていることから、この頃にはツォレルン城はできていてツォレルン=ヘヒンゲン家の城であった。[[14世紀]]にツォレルン家をホーエンツォレルン家と改め、城名もツォレルン城からホーエンツォレルン城となる。この城は[[1423年]]には完全に破壊されている。その後再建され、[[三十年戦争]]では要塞として使用された。その後は所有する城主が何度も代わっている。ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家は[[プロテスタント]]に改宗せず[[カトリック教会|カトリック]]のままで通していたが、ドイツ帝国成立直前の[[1869年]]に断絶した。