「後小松天皇」の版間の差分

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補遺, 混乱回避, 後宮女性に限って本姓を使うのは余計な混乱を招くだけ, etc.
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== 系譜 ==
[[後円融天皇]]の第1皇子。母は[[内大臣]][[三条公忠]]の娘、通陽門院女・[[藤原三条厳子|厳子(通陽門院)]]<ref group="注釈"> なお、母・厳子実家で後小松を出産した後2月たっても御所にらず、やっと戻ると厳子と[[足利義満]]の密通を疑う後円融上皇から折檻刀の峰打ち受けてくら実家に舞い戻ってしまったことまたその薨去に際しては小松一代で二[[足利諒闇]]となってしまうことを回避するために義満が自身の正室[[日野康子]]を後小松行動准母に立てこれに[[女院|女院宣下]]を出させていること、そして自らも後小松の父代りとして熱心にその養育にあたっていることから、作家の[[海音寺潮五郎]]は後小松天皇は実は義満の子ではないかという説を唱えた。(海音寺著『悪人列伝』)</ref>。また、風狂の禅僧[[一休宗純]]は後小松の落胤とえられている。
 
* [[女院]]後宮:[[日野西資子|藤原(日野西資子]](光範門院)(1384)]]、1384-1440)1440 - 准大臣[[日野西資国]]女、権大納言[[日野西資教|資教]]養女
** 第1皇子:[[称光天皇|実仁親王([[称光天皇]]) - (1401、1401-1428)1428
** 第2皇子:某([[小川宮]])(1404、1404-1425)1425
** 第1皇女:理永女王(1406、1406-1447)1447 - [[大聖寺門跡]]門跡
* 典侍:甘露寺経子(大納言典侍)- 権大納言[[甘露寺兼長]]女
** [[猶子]]:彦仁王([[後花園天皇]]) - [[崇光天皇]]曾孫、[[伏見宮貞成親王]]王子
* 典侍宮人:藤原(甘露寺)経子(大納言典侍) - 准大臣[[甘露寺兼長日野西資国]]女
* 宮人:藤原氏小兵衛局 - [[日野西資国宮内少輔]][[土岐氏|土岐]]
** 皇女(1412:1412-?
* 宮人:源氏(小兵衛局) - [[土岐氏|土岐]][[宮内少輔]]某女
* 宮人:非参議[[白川資忠]]女
** 皇女(1412-?)
* 宮人:藤原 - (南朝遺臣の女で、[[白川資忠花山院家]]出身と伝わる)
** 皇子:[[一休宗純]](1394-1481) - [[大徳寺]]住職、[[落胤]]説があるが真相は不明。
* 宮人:[[藤原氏]](南朝遺臣の女で、[[花山院家]]出身と伝える)
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** 皇子:[[一休宗純]](1394-1481) - [[大徳寺]]。[[落胤]]説があるが真相は不明。
** [[猶子]]:[[後花園天皇|彦仁王([[後花園天皇]]- [[崇光天皇]]曾孫、[[伏見宮貞成親王]]王子
 
=== 系図 ===