「安部英」の版間の差分

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[[2001年]]の一審では検察の懲役3年の求刑に対し、無罪判決が言い渡された。判決文では、「[[:en:Robert Gallo|ギャロ]]博士や[[リュック・モンタニエ|モンタニエ]]博士ら世界の研究者の公式見解から、事件当時の1985年はHIVの性質やその抗体陽性の意味に不明点が多々存在しており明確な危険性の認識が浸透していたとはいえないこと」、「代替治療法としてのクリオ製剤には治療に様々な支障があったこと」、「安部医師を告発した元医師の供述については、『事件当時の1985年前後に非加熱製剤とHIVの関連を予期する発言や論文が見られない点』や、『非加熱製剤とHIVの関連を予期する供述は、当時の専門家の認識から突出している点』から、検察官に迎合した疑いを払拭し難く、不自然で信用性に欠けること」などがあげられた<ref>朝日新聞 2001年03月28日 夕刊 特設A 「薬害エイズ事件安部被告判決理由<要旨>」</ref>。
 
「毎日新聞」社説は、判決は急所をはずし説得力が乏しい、と断じた。具体例として、ミドリ十字と安部氏の「緊密な関係」である。「安部元学長が安全なクリオ製剤への転換を拒み、非加熱製剤の投与を続けたのは、加熱製剤の開発が遅れていた同社に配慮したためと言われている」「疑惑に言及していないことには得心がいかない」との主張だった。</ref >2001年3月29日「毎日新聞」朝刊</ref >
 
無罪判決に検察が控訴したが、心臓疾患や[[認知症]]を発症したため公判停止となり、2005年4月25日に88歳で死去した。