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* [[1790年]] - 樺太南端の[[本斗郡]][[好仁村]]白主に松前藩が商場を設置、幕府は勤番所を置く。
* [[1798年]] - 東蝦夷地(北海道太平洋岸および千島)が[[天領|公議御料]]([[江戸幕府|幕府]]直轄領)となり、[[場所請負制]]を通じて東蝦夷地のアイヌ人の[[宗門人別改帳]]が作成される。
* [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年) - 日本との通商を拒否された[[ニコライ・レザノフ]]の部下のロシア海軍士官らが報復のため久春古丹を焼き討ちにする([[文化露寇]]、1806〜1807年)。弁天社<ref>[http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/10946/1/05%20非文字27.pdf 「樺太の神社の終戦顛末」 前田 孝和]</ref>の[[鳥居]]に[[黄銅|真鍮]]でできた板を取り付け「樺太の占領」「先住民はロシアに服従した」と意味する内容が記された。
* [[1807年]](文化4年) - ロシア海軍士官らが[[択捉島]]、[[礼文島]]などとともに[[留多加郡|留多加]]を襲撃する。警備のため幕府が[[秋田藩]]・[[弘前藩]]・[[仙台藩]]・[[会津藩]]などに蝦夷地への出兵を命じる。西蝦夷地(北海道日本海岸・オホーツク海岸・樺太)も公議御料とし、以降樺太アイヌを含む全蝦夷地のアイヌ人の[[宗門人別改帳]]が作成されるようになる。
::以下に幕府が把握した北蝦夷地(樺太)のアイヌ人の人口と、明治政府が把握した樺太人員の本籍人口をまとめる。