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'''マリア・バルバラ・バッハ'''(''Maria Barbara Bach'' [[1684年]][[10月20日]] - [[1720年]][[7月7日]])は、[[作曲家]][[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の又従で先妻。[[ハインリヒ・バッハ]]の孫に当たり、父親は[[ヨハン・ミヒャエル・バッハ]]。マリアの生涯と2人の馴れ初めについては、ほとんど知られていないが、バッハがマリアとの結婚生活に満足していたことは分かっている。7人の子をもうけながらも、そのうち4人は幼児のうちに亡くなった。マリア自身は[[1720年]]7月に急逝しており、同時期に書かれたバッハの一連の無伴奏ヴァイオリン作品や《[[半音階的幻奏曲とフーガ]]》、いくつかのオルガン作品の激しい感情のほとばしりに、当時のバッハの落胆ぶりを指摘する向きもある。マリアの死後から半年後、バッハは[[アンナ・マクダレーナ・バッハ|アンナ・マクダレーナ・ヴィルケ]]と再婚、アンナはマリアの遺児たちを、わが子同様に育て上げた。マリアの遺児は、作曲家となった2人の兄弟、[[ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ|ヴィルヘルム・フリーデマン]]と[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|カール・フィリップ・エマヌエル]]のほかに、第1子で長女のカタリーナ・ドロテーアがいた。
 
{{バッハ一族}}