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出典提示無し エッセイ
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* 辻雄康 (長女の息子)
* 松岡恵 (次男 修造の娘、[[宝塚音楽学校]]105期生)
 
== エピソード ==
テニス・[[デビスカップ]]日本代表に選ばれるほどのテニスプレイヤーであったが、実業家として専念するためにテニス用具やトロフィーなどを全て処分し、テニスからは一切足を洗っていたため、息子・松岡修造は父親がテニスをしていたことを知らなかったという。自身も語らず、むしろ修造がテニスをする事には大反対であり「なんでお父さんは普段は温厚なのに、テニスになるとあんなに怒るし、無視するんだろう?」と子供ながらに不思議だったという。
 
ワンマンタイプの経営者が多い映画界では腰の低い紳士として知られる。映画監督の[[若松孝二]]は、プロデュースしていた『戒厳令の夜』が出資元企業の倒産で中止の危機に陥った際、配給予定の東宝に援助を求めたことがあるが、その際に社長の松岡が自らエレベーターホールに送り迎えしてくれたことに感嘆し著書に記している。
 
息子・松岡修造と自社のスター・[[沢口靖子]]が交際しているとの報道がなされたときは、取材の報道陣に対し「沢口は映画界のスター。あんなテニス選手と付き合っているわけがない」と、厳しい発言をしたことがある。実際交際はしておらず、息子が当時沢口の大ファンであり、「会わせてくれ」と頼んでも、功は「ふざけてるのか?」と拒否。父に内緒でコネを使って食事をした。この際に沢口側にはスタッフやマネージャー、重役まで同席し、結果的に父親にバレ、修造がものすごい怒られたという。
 
エピソードの通り、「自身の会社の俳優・女優を守る」というスタンスはとても強く、例え息子であろうと手を出す行為や遊びのような生半可な事は許さなかった。
 
有名人の親には珍しく、甘やかして育てずスパルタだが子供たちがやりたい事をやらせた。功自身、テニスプレイヤーとして自身の力のみで勝利を掴み、妻もコネや金が通用しない[[宝塚音楽学校]]を自身の力で入学し、結果を残したためである。また、芸能界の厳しさを十二分に身に染みてわかっていたため、子供たちに子役経験はなく、むしろ芸能界に染まらないような教育をした。結果的に子供たちは、自身の好きな事を伸ばし、世界的なテニスプレイヤーや、日本や海外でも有名な料理学校の教員となり、校長と結婚するなど自身の力のみで勝利を掴んでいる。
 
== 学歴 ==