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=== 日本への移住 ===
カコフォニー時代にライブで初来日したマーティは、日本に対してそれまで以上の興味を持つようになり、90年代の半ば頃からメガデスの世界ツアーの移動時間を使い、通信教育で日本語の勉強を始め<ref>[https://web.archive.org/web/20131015084203/journal.ocn.ne.jp/people/vol09/people02.html マーティ・フリードマンOGな人びとVol.09](2013年10月15日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、ある程度日本語を習得し、通訳なしでインタビューを受けることも多々あった。その後、アリゾナ州立大学の日本語弁論大会で2位を獲得<ref>[http://www.martyfan.com/profile/ maryfan.com]</ref>。現在は日本の雑誌やメディアのインタビューはすべて日本語で対応しており、対談などでは通訳を務めることもある。
 
[[2004年]]に、仕事も何も決まっていない状態で日本への移住を決める。保証人もいなかったため、最初の数か月は6畳の[[短期賃貸マンション|ウィークリーマンション]]に住まざるを得なかったという。日本語の勉強になると割り切って、やりたくない仕事もやっていたが、間もなく友人の紹介で[[相川七瀬]]と知り合い、彼女のバックバンドにギタリストとして参加する。これをきっかけに日本でのミュージシャンとしての活動を開始する。
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== 人物 ==
* 流暢な[[日本語]]を話すことで知られる。日本語での口癖は「いいじゃん!」「アゲアゲじゃん!」<ref>[https://web.archive.org/web/20090227082013/http://www.martyfan.com/bio.php 公式ウェブサイト](2009年2月27日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* 自身のことをよく「完璧主義者」と評す。ただし、その性格のせいで物事が前に進みそうにない状況に陥った時には、敢えて自分から最低限の妥協をするという柔軟性も持ち合わせている(マーティはこれを'''プチ妥協'''と呼んでいる<ref>タモリ倶楽部『潜入!LP工場 アナログのぬくもりも大切にし隊が行く!!』2006年11月17日深夜放送回より。{{出典無効|title=検証できません。|date=2017年6月}}</ref>{{出典無効|title=検証できません。|date=2017年6月}})。
* 親日家で日本語も流暢に話せるが、もともと日本人の血は入っておらず、子供の頃は日本人ではなく日系人と接してきたため、日本人特有のオブラートに包むことをあまりしない傾向にある。人種差別的な発言をすることもあるが、日本では失礼にあたるが、海外ではほとんど人種差別とされない発言なため、本人だけが気付いていないことが多い。