「沖縄美ら海水族館」の版間の差分
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[[沖縄返還|沖縄本土復帰]]記念事業として[[1975年]](昭和50年)に本部町で開催された[[沖縄国際海洋博覧会]]において、海洋生物園が出展された。その後、博覧会跡地に[[国営沖縄記念公園|国営沖縄海洋博覧会記念公園]]<ref>公園の名称は[[1987年]](昭和62年)に「[[国営沖縄記念公園]]」に改称されている。</ref>を整備するにあたり、博覧会施設を受け継いで[[1979年]](昭和54年)[[8月]]に開館した。開館当時、水量1,100[[トン]]の水槽は世界最大であった。
[[バブル崩壊]]後の[[1991年]]([[平成]]3年)頃から入館者数が減少し始めたことに加え、短期間の博覧会用に建設した施設のため老朽化が著しくなってきたことから<ref name=MM>{{PDFlink|[http://web.archive.org/web/20041227122934/http://www.okikosai.or.jp/kenkyusho/magazine/sima_31/sima31-17.pdf 沖縄美ら海水族館 -開館2年目の利用状況-]}}(社団法人沖縄建設弘済会) … 内閣府沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所長 松江正彦 記(2004年12月27日時点の[[インターネット
管理運営は[[海洋博覧会記念公園管理財団]]が行っている。旧館閉館前の1年間の入館者数は43万人強であったが、新館開館後の1年間のそれは275万人に激増した<ref>{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/01/010618/73.pdf 1.沖縄ブロックの現状と課題]}}([[国土交通省]])</ref>。当時は、[[2001年]](平成13年)[[9月11日]]に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]により、[[在日米軍]]基地が多い沖縄県が旅行先として敬遠されて観光客数が激減した後、[[2002年]](平成14年)[[11月]]に[[中華人民共和国|中国]]で発生した[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]により、今度は日本国外への旅行客が沖縄へ旅行先を振り替えたという観光客の傾向があり、また、ドラマ『[[ちゅらさん]]』に代表される沖縄ブームもあった<ref>{{PDFlink|[http://web.archive.org/web/20041120114023/http://www5.cao.go.jp/keizai3/2003/0829chiiki/okinawa.pdf 地域経済動向(平成15年8月)(11)沖 縄]}}(内閣府)(2004年11月20日時点の[[インターネット
[[2005年]]度(平成17年度)の入館者数は242万5176人で、以降おおむね横ばいであり2012年度は281万1480人であった。<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kouen/ocean/riyousha.html 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所-利用者状況]</ref>通算来館者は2006年11月12日には1,000万人、2010年3月30日には2,000万人に達したと発表している。
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