「第100飛行隊 (イスラエル空軍)」の版間の差分

[[第一次中東戦争|独立戦争]]がほぼ終結した1949年6月になり、テルアビブ・ネゲヴ・ガリラヤの各飛行隊は統合され、[[テルノフ空軍基地|エクロン空軍基地]]を拠点とする'''第100飛行隊'''となった<ref name="100sqn"/>。統合後、第100飛行隊は独立戦争で使用していた様々な民間機を順次退役あるいは予備役扱いとし、運用機種の[[パイパー カブ|パイパー J-3 "カブ"]]および[[パイパー PA-18|パイパー PA-18 "スーパーカブ"]]への統一を進めた。J-3カブは数機程度だったが、PA-18スーパーカブについては最大で100機程度を運用した<ref name="100sqn"/><ref name="100globalsecurity">[http://www.globalsecurity.org/military/world/israel/100squadron.htm globalsecurity.org 100 Squadron - The Flying Camel]</ref>。
 
1951年になると第100飛行隊は拠点を[[ラムラ]]に移した。1951年5月には2機の[[H-23 (航空機)|ヒラー360]]がイスラエル空軍に導入され、8月から第100飛行隊の元でテスト運用されるようになった。その後1機が墜落し失われたが、残った1機のヒラー360は1956年に導入された2機の[[シコルスキー S-55]]を運用するヘリコプター小隊が[[第103飛行隊 (イスラエル空軍)|第103飛行隊]]に編成された際に、その小隊に移管された。この後、1958年に[[シコルスキー S-58]]が導入されるのに合わせて、この小隊は[[第124飛行隊 (イスラエル空軍)|第124飛行隊]]として独立した部隊となった。
 
1956年の[[第二次中東戦争]]ではPA-18を使用し連絡や物資の輸送を行った。また1950年代には西ドイツ製の[[フォッカー S.11]]を41機導入し運用した<ref name="100sqn"/>。
 
また、1964年に[[西ドイツ]]から35機の[[ドルニエ Do 27]]が供与され、観測機として第100飛行隊の装備となった。1971年頃からは後継機種の[[ドルニエ Do 28]]の運用も行われた<ref name="100sqn"/><ref name="100globalsecurity"/>。
 
1965年には、独立していた[[第124飛行隊 (イスラエル空軍)|第124飛行隊]]の運用していた2機の[[シュド・エスト SE.3130|アルエットII]]が第100飛行隊に移管され、軽ヘリコプター小隊を構成して運用された。この小隊は1967年の[[第三次中東戦争]]の後、[[第125飛行隊 (イスラエル空軍)|第125飛行隊]]として独立した部隊となった。
 
1997年頃には20機程度のセスナ206Cを国外に売却し、[[ビーチクラフト キングエア|ビーチクラフト キングエア200]]の導入が開始された<ref name="100globalsecurity"/>。