「ロンバルディア州」の版間の差分

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[[1814年]]のナポレオン失脚後、[[ウィーン会議]]の結果として1815年にロンバルディアと[[ヴェネト州|ヴェネト]](旧[[ヴェネツィア共和国]]領)には[[ロンバルド=ヴェネト王国]]が設立された。ロンバルド=ヴェネト王には[[オーストリア帝国|オーストリア]]皇帝[[フランツ2世|フランツ1世]]が就き、[[オーストリア帝国]]([[ハプスブルク君主国]])の構成国となった。1848年にはミラノにおいてオーストリアによる支配に対する反乱が発生([[ミラノの5日間]])、{{仮リンク|第1次イタリア独立戦争|it|Prima guerra di indipendenza italiana|fr|Première guerre d'indépendance italienne|en|First Italian War of Independence}}の契機となった([[イタリア統一運動]]参照)。
 
1859年、フランス帝国([[フランス第二帝政]])と結んだサルデーニャ王国は、オーストリアに対し{{仮リンク|第2次イタリア独立戦争|it|Seconda guerra di indipendenza italiana|fr|Campagne d'Italie (1859)|en|Second Italian War of Independence}}を挑んだ。ミラノ周辺での[[マジェンタの戦い]]、[[ソルフェリーノの戦い]]を経て(なお、ソルフェリーノの戦いは、[[アンリ・デュナン]]が[[赤十字]]運動を提唱する契機となった)、7月にフランスは単独でオーストリアと休戦([[ヴィッラフランカの休戦]])。後[[11月10日]]に3か国間で[[チューリッヒ条約]]が締され、ロンバルディアは[[1859年]][[7月11日]]にサルデーニャ王国に併合された(手続きとしては、オーストリアがフランスに割譲したロンバルディアを、即日フランスがサルデーニャに割譲する形になっている)

[[1861年]]、サルデーニャ王国はイタリア半島を統一し、[[イタリア王国]]となった。
 
== 行政区画 ==