「ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ」の版間の差分

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'''ピエール・アンブロワズ・フランソワ・コデルロス・ド・ラクロ'''(Pierre Ambroise François Choderlos de Laclos, [[1741年]][[10月18日]] - [[1803年]][[9月5日]])は、[[フランス]]・[[アミアン]]出身の[[砲兵]]士官で、小説『[[危険な関係]]』の作者。[[スペイン系ユダヤ人]]
 
Choderlos の発音については[[フランス語]]話者の間でも論議されることがある。[[ロジェ・ヴァイヤン]]はその著書『彼自身によるラクロ』の中でラクロの手書き原稿を載せており、ラクロが自分の名を Choderlot de Laclos と記していることを示した。またラクロと同時代の様々な文献には Chauderlos の綴りが散見される。このことから判断すると、ラクロ自身は「ショーデルロ」と発音していたと推察される。
 
ラクロは南部[[フランス]]の駐屯地での貴族たちの生活をモチーフに、[[1782年]]に『[[危険な関係]]』(''Les Liaisons dangereuses'')を著した。他にも女子教育についてなど政治論や風刺詩をいくつか発表しているが、いずれも凡作であり、後世まで傑作として読み継がれているのは『危険な関係』のみである。当時の[[アンシャン・レジーム]]と呼ばれた貴族社会の道徳的退廃と風紀の紊乱を活写した内容は、上梓当時は多くの人の顰蹙を買いつつも広く読まれた。
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[[Category:1803年没]]
[[Category:危険な関係|*らくろ]]
 
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