「ポーランド・ソビエト戦争」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ととした → とした |
119.231.77.157 (会話) による ID:64986045 の版を取り消し |
||
26行目:
第一次世界大戦直後のロシアは、ロシア革命に対する干渉戦争と[[ロシア内戦|内戦]]の影響により、混沌とした情勢にあった。[[パリ講和会議]]の結果により、[[ポーランド分割]]以来のロシア国家による支配から独立を果たしたポーランドは、民族的・宗教的影響やかつての[[ポーランド・リトアニア共和国]]の領域や[[人口動態]]などから[[ベラルーシ]]西部やウクライナ西部の土地に野心を持っていた。このため、講和会議で得られた領域をさらに東方に拡大し、分割前([[1772年]][[8月5日]]以前)の領土を回復し[[1791年]]以後のポーランド国家の版図を復活させるため、ロシア内戦の混乱に乗じて[[ソ連]]に侵攻した。
[[1920年]]当初、ポーランド軍は[[キエフ]]を占領するなど大きく進撃したが、その後
進撃を続けるポーランドは支配圏を[[ミンスク]]近辺まで到達させたものの、財政難の危険により、ソ連の提案で10月に停戦に応じることとなった。1921年3月に講和条約が結ばれ、これによりポーランドは[[ヴィリニュス]](ヴィルノ)を中心としたヴィルノ地方など[[リトアニア]]中部と[[リヴィウ]](ルヴフ)を中心とした[[ガリツィア]]地方などウクライナ西部を併合し、東方領土を正式画定した。
|