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作曲家、演奏家の見出しを独立、追記
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== 歴史 ==
{{main|音楽史}}
 
=== 古代の音楽の歴史 ===
{{main|古代の音楽|古代西洋音楽}}
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* [[笙]][[簧]]の発明者―『[[女媧]]』天を補修し人類を創造した女性。
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<!-- 世界中の音楽の歴史をバランスよく書くならともかく、そのプロセスをすっとばして、いきなり日本ばかり、日本の《音楽家》の歴史ばかりを書くのは、知識のバランス上よろしくない。誤解を生みかねない。書くとしたら【音楽の歴史】の記事 -->
 
<!--; 日本での音楽家の歴史 -->
<!-- 世界中の音楽の歴史をバランスよく書くならともかく、そのプロセスをすっとばして、いきなり日本ばかり、日本の《音楽家》の歴史ばかりを書くのは、知識のバランス上よろしくない。誤解を生みかねない。書くとしたら【音楽の歴史】の記事 -->
 
<!-- [[日本]]においては、[[平安時代]]になると、音楽([[雅楽]])の専門として芝、[[東儀家|東儀]]、豊の三家が制定され、[[世襲]]により[[2016年]]([[平成]])現在まで続いている。また[[鎌倉時代]]には[[視覚障害者]]保護のため「[[検校]]」の官位が生まれ、後に[[当道座]]が整備されて、それに属する[[盲人]]は専門家として平曲(平家[[琵琶]])、[[江戸時代]]にはそれに加えて[[三曲]]([[地歌]][[三味線]]、[[箏曲]]、[[胡弓]])の占有が認められた<ref group="注"> [[鍼灸]]、[[按摩]]も含む</ref>。これが盲人音楽家の地位を保証し、[[近世]]邦楽の発展を支えることになる。その他、[[室町時代]]から[[能楽]]は武家の式楽として、能楽師たちは身分を保障されていた。江戸時代には[[浄瑠璃]]など、専門家の権威付けとして、[[芸道]]を管轄する役所「嵯峨御所」に届け出、認可されると[[家元]]として一派を構えることができた。また演奏家の優劣を評する「[[番付]]」がしばしば発行された。一派を立てるには、みずから作曲して独自性を示すことが求められるが、日本の音楽においても演奏家は作曲家を兼ねていた。 -->
 
=== 作曲家と演奏家 ===
{{See also|音楽家の一覧}}
 
== 要素 ==
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鑑賞とは、演奏を視覚、聴覚等で楽しむことにより音楽的芸術を示すことである。
音楽評論家等は職業として、それを行っていると考えて良いだろう。
 
== 音楽家 ==
{{main|音楽家}} {{See also|音楽家の一覧}}
[[音楽家]]とは音楽を専門とする人のことである。一般に、楽曲を作る音楽作家や音楽を再現する実演家を指す。より細かく分けると以下のようなものがある。
* 音楽作家
** [[作曲家]]
** [[作詞家]]
** [[編曲家]]
* 実演家
** [[指揮者]]
** [[演奏家]]
** [[声楽家]]
 
また一般には音楽家と呼ばれないが、音楽関連の職業には以下のようなものが挙げられる。
* [[音楽評論家]]
* [[音楽プロデューサー]]
* [[音響技術者]]
* [[ピアノ調律師]]
 
== ジャンル ==