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下地隆史 (会話 | 投稿記録)
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[[1980年代]]後半に活動した。
 
[[鹿児島県]][[鹿屋市]]出身。[[女子学院高等学校]]卒業後、[[横浜国立大学]]に入学<ref name="bubka">{{cite book|和書物 |date=2010-08-28 |title=BUBKAダイヤモンド 消えたアイドルは今500連発 |publisher=[[コアマガジン]] |page=145 |isbn=978-4-86252-898-8 }}</ref>、イタリア美術を専攻。同校在籍中の[[1986年]]、[[イタリア]]留学の費用を自ら工面するため[[アダルトビデオ]](AV)([[AV]])デビュー。デビュー作『SMぽいの好き』([[クリスタル映像]])が異例の大ヒット。AVファンだけでなく、一般にもその名を知られるようになる。
 
当時女子大生がAVすることは珍しい時代ではなくなていたが、世間にはまだそのことが知られておらず、特に大学名を公開した現役の[[国立大学]]の学生の出演は異例中の異例であった。[[ゴールデンタイム]]の[[テレビ番組]]にも多数出演。「良家の令嬢」でありながら卑猥な言葉を連呼し、16歳以降剃ったことのないという[[わき毛]]を大胆に露出して、絶頂時には[[ホラ貝]]を吹き鳴らすという意外性もあり当時大人気となって一世を風靡した。当時の人気政治討論番組である[[テレビ朝日]]『[[朝まで生テレビ]]』(司会・[[田原総一朗]])にも出演し、同番組の常連出演者である映画監督・[[大島渚]]や[[東京大学]]法学部教授・[[舛添要一]](のち[[東京都知事]])らの文化人と討論をした。
 
なお、学業については、一躍有名になってしまい多忙が続いたことや多々の理由で通学が困難になり、長期欠席状態が続いたため[[横浜国立大学]]教育学部美術学科を[[除籍]]されたという<ref>「[[週刊新潮]]」1990年8月16・23日号で本人が明かしている。</ref>。
 
一人称は「わたくし」で、「私思いますに…でございます」という上品な言葉遣い<ref name="bubka"/>、話し方ではあったが、その内容は言葉の端々に[[性交]]に関することを織り交ぜていた。
 
大学の学業は、一躍有名になってしまい多忙が続いたことや多々の理由で通学が困難になって長期欠席状態が続いたため、[[横浜国立大学]]教育学部美術学科を[[除籍]]された<ref>「[[週刊新潮]]」1990年8月16・23日号で本人が明かしている。</ref>。

[[村西とおる]]とは[[愛人]]関係にあった<ref name="crea"/><ref name="bubka"/>。村西が実質的な経営者だった[[ダイヤモンド映像]]の系列会社・[[ダイヤモンド映像|ビックマン]]の取締役にもなり、村西が東京・[[渋谷]]に出店した高級[[焼肉]]店「香貴苑」の[[ママ]]にもなったが<ref>[[本橋信宏]]「村西とおるを奪い合ったAV女優たち」『[[新潮45]]』2006年6月号</ref>、村西と“村西のギャラの不払い”により別れたあと引退。[[1994年]]、東京都[[中野区]]のホテルの2階から転落飛び降り自殺をしたが、一命を取りとめ<ref name="bubka"/>。自殺未遂あと体に遺症が残ったため、病院に入院して[[リハビリ]]に励んだ。
 
その後も消息を報じるマスメディアが絶えなかったが、[[1999年]]に流出したビデオの内容を掲載した『[[週刊現代]]』や『[[アサヒ芸能]]』の発行元を[[プライバシー]]侵害で訴えたのをはじめ、[[2002年]]に近況を報じた『[[女性セブン]]』、[[2004年]]に近況と写真を掲載した『[[週刊ポスト]]』の各発行元を同様にプライバシー侵害で訴え、いずれも[[2006年]]に勝訴した<ref>[[夕刊フジ]]「[http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006052404.html 黒木香さんの記事「プライバシー侵害」220万賠償命令]」2006/05/24</ref>。このマスコミを相手とした名誉棄損訴訟の課程で、人気バラエティー番組『あの人は今?!』([[日本テレビ]])も訴えられ、番組終了に追い込まれたといわれる
 
== 作品 ==