「ボレスワフ4世」の版間の差分

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父が死ぬと、[[シロンスク公国|シロンスク公]]で異母兄のヴワディスワフ2世がポーランド大公となった。若いボレスワフ4世は[[マゾフシェ公国|マゾフシェ]]と[[クヤヴィ]]を継承し、[[マゾフシェ公]]となった。
 
1146年にヴワディスワフ2世を追放すると[[長子領|クラクフ領]]とシロンスクを継承し、ボレスワフ4世自身がポーランド大公となった。しかし、[[1163年]]に[[神聖ローマ皇帝|ローマ皇帝]][[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]が外交で圧力をかけたため、甥の[[ボレスワフ1世ヴィソキ|ボレスワフ1世]]・[[ミェシュコ1世プロントノギ|ミェシュコ1世]]兄弟にシロンスクを返還した。死後は息子レシェックがマゾフシェ公を継承したのみで、クラクフと[[グニェズノ]]を継承したのは同母弟のミェシュコ3世であった。
 
==子女==