削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目:
'''宮中伯'''(きゅうちゅうはく、{{Lang-de-short|Pfalzgraf}})は、[[中世]][[ドイツ]]の[[爵位]]の一つ。'''ファルツ伯'''('''プファルツ伯''')とも呼ばれ、[[神聖ローマ帝国]]における「宮廷の書記」という意味であり、今日では「[[大臣]]」に相当するものと解釈される。'''宮廷伯'''、'''帝領伯'''、'''王領伯'''、'''王領地伯'''、'''地方伯'''とも訳される。
 
いわば神聖ローマ皇帝の側近で、通常は宮廷に10人前後の宮中伯がおり、それぞれ担当する部署において政務を処理した。しかし、やがて地方において[[諸侯]]が台頭し、帝国が分裂状態になると、皇帝により諸侯を監視、あるいは諸侯の力を抑えるために各地に宮中伯が派遣されるが、そのほとんどが諸侯との争いの中で没落した。
 
唯一、[[ライン宮中伯]]だけは任地の[[ラインラント|ライン地方]]に土着し、自ら諸侯化することで存続した。そのため、「宮中伯」というと固有名詞的にライン宮中伯を指すようになり、その所領は「プファルツ(宮中伯領)」と呼ばれるようになった。[[1356年]]の「[[金印勅書]]」によってライン宮中伯は[[選帝侯]]となったため、「プファルツ選帝侯」(「宮中伯領選帝侯」)と通称される。