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岡原が最高裁入りする少し前の[[八幡製鉄事件]]で政治献金を合法とした最高裁判所大法廷判決については、「企業献金は法律的には理屈が通らない。(政治家に)数千万円、数億円も入ってくるなんて悪だ。あり得べからざることだ。当時あれほど企業献金が行き渡っていては最高裁は違憲違法とは言えなかった。あれは『助けた判決』と言うんだ」と言った。
 
最高裁長官のあいさつとして、「座右の銘は『則天去私』。私心を捨て道に合った姿を求めていきたい」と話した<ref name="nomura">野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)71頁</ref>。最高裁長官としての1978年5月の憲法記念日の記者会見では「[[弁護人抜き裁判法案]]は必要。裁判所の努力にも限界がある。法廷で問題を起こす弁護士はばっさり(懲戒処分を)やればいい」と発言し、波紋を投げかけた<ref name="nomura">野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)71頁</ref>。日弁連が強く反発したが、後に法案は日弁連が裁判審理促進に協力することで廃案となった<ref name="nomura"></ref>。
 
最高裁長官退官後に[[1983年]]の[[ロッキード事件]]の[[田中角栄]]被告の一審有罪判決について「判決確定までの無罪推定論は、一審判決の重みを理解しないもの。上級審で逆転無罪になる判決は殆どない」と述べた<ref name="nomura"></ref>。