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[[File:Nonami.jpg|300px|thumb|東海豪雨時の[[名古屋市]][[天白区]]野並]]
'''東海豪雨'''(とうかいごうう)は、[[2000年]]([[平成]]12年)[[9月11日]] - [[9月12日|12日]]を中心に[[愛知県]][[名古屋市]]およびその周辺([[中京圏|中京地区]])で起こった豪雨災害([[洪水|水害]])。東海集中豪雨とも言う。都市水害の恐怖を実感させる大きな被害で話題になった。なお、東海豪雨は通称であり、[[気象庁]]による命名ではない<ref>[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/kousui.html 気象庁 気象等の知識>予報用語>降水] 豪雨の項目参照</ref>。後に[[激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律|激甚災害]]に指定された。
 
以下の地名はすべて豪雨発生当時の自治体名で示す。
 
== 概要 ==
2000年[[9月7日]]頃から[[本州]]付近に[[秋雨]][[前線 (気象)|前線]]が停滞しており、11日から12日にかけて、[[平成12年台風第14号|台風14号]]の東側を回る[[暖湿流|暖湿気流]]が前線に向かって流れ込んだため、前線の活動が活発となり、愛知三重岐阜県の[[東海3県|東海地方]]を中心に記録的な大雨となった。11日夕方ごろから、名古屋市をはじめとする中京地区を中心とした広範囲にわたり大きな被害をもたらし、2日間の積算降水量は多いところで600ミリ前後に上った。
11日夕方ごろから、名古屋市をはじめとする東海地方を中心とした広範囲にわたり大きな被害をもたらし、2日間の積算降水量は多いところで600ミリ前後に上った。
 
名古屋市では11日の日降水量が、平年の9月の月降水量の2倍となる428ミリとなり、2日間の合計降水量が567ミリに達した。愛知県[[東海市]]では11日の午後7時までの1時間に114mm、日降水量492mmを記録した。
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この結果、新川流域(名古屋市[[西区 (名古屋市)|西区]]山田地区、清須市(当時の西春日井郡西枇杷島町・新川町など))、庄内川流域([[名古屋市]][[中川区]]、[[春日井市]])、[[天白川 (愛知県)|天白川]]流域(名古屋市天白区・[[南区 (名古屋市)|南区]]・[[緑区 (名古屋市)|緑区]]など)、[[境川 (境川水系・愛知県)|境川]]・[[逢妻川]]流域(大府市・[[知立市]]・刈谷市・知多郡東浦町など)、名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じた。
 
岐阜県では[[矢作川]]流域を中心とした[[恵南]]地域に多大な被害が出たため、この豪雨に関して岐阜県内に限っては'''恵南豪雨'''とも呼ばれる。この地域では家屋が壊れたり流されたりする深刻な被害が出た。しかしマスコミ報道では、比較的被害の軽かった名古屋市周辺の報道が集中し、取り上げられることはほとんどかった。
 
期間降水量は、[[三重県]][[多気郡]][[宮川村 (三重県)|宮川村]](現・[[大台町]])で1,090ミリとなったほか、[[四国]]から[[東海地方]]で800〜1,000ミリに達した。大雨は[[静岡県]]<ref>{{Cite web|url=http://www.jma-net.go.jp/shizuoka/pdf/shou/no33.pdf|title=静岡県気象災害小史 事例 No33|publisher=静岡地方気象台|accessdate=2017-09-16}}</ref>・[[山梨県]]にもおよび、これらの広い地域で2日間の合計降水量が200〜400ミリとなったところがあった。
 
== 被害状況 ==
[[消防庁]]によると、東海地方([[静岡県]][[岐阜県]][[愛知県]][[三重県]]の各県で10人が死亡し、全国で115人が重軽傷を負った。経済的被害は2700億円を超え、[[1959年]]の[[伊勢湾台風]]以来の水害となった<ref>{{Cite web|url=http://www.nagoya-cci.or.jp/history/heisei/h31.html|title=東海豪雨と被災中小企業に対する支援|work=名古屋商工会議所のあゆみ|publisher=[[名古屋商工会議所]]|accessdate=2016-04-17}}</ref>。
 
=== 交通規制 ===
==== 東海道新幹線 ====
[[東海道新幹線]]は、11日の昼ごろまでダイヤ通りの運行が続いていた。その後、名古屋市付近で警戒水準を超える降雨を記録したにもかかわらず、[[東海旅客鉄道]](JR東海)は{{要出典範囲|date=2017年9月16日 (土) 03:57 (UTC)|名古屋[[地方気象台]]発表の予報がここまでの豪雨を予想していなかったことと、「いずれ止むだろう」という期待を含んだ見通し}}更に「遅れを最小限にとどめたい」「運休は避けたい」という[[葛西敬之]]社長(当時)の意向(後述の記者会見からも伺える)があり、[[東京駅]]からダイヤ通りに新幹線を発車させた。しかし、雨足が強まっていく中で出発した列車は、徐行と停止を繰り返しながら遅延を拡大させ、結果的に東京駅 - [[米原駅]]の間で70本近い列車が団子状態でストップし、全面的に不通となった。
 
列車が運良く駅ホーム内で足止めとなった乗客は、改札を出て駅近くの[[ホテル]]などを利用できたが、最終的に5万人を超える乗客が車内に取り残され、一夜を明かす事態となる。この乗客の中には[[阪神甲子園球場]]での[[阪神タイガース]]戦に出場する[[読売ジャイアンツ]]の選手も何名か含まれており、試合は中止となった。
 
天候が回復した翌日もダイヤの乱れは続き、当時の「[[のぞみ (列車)|のぞみ]]20号」([[博多駅|博多]]発東京行き)は、22時間21分遅れで終の東京駅に到着するという、開業以来最悪の遅延を記録した。<!--また、当事者である[[東海旅客鉄道|JR東海]]の当時の社長[[葛西敬之]]本人も[[グリーン車]]に乗り合わせていたが「乗客の目から逃れたいので[[多目的室]]に隠れさせて欲しい」旨の申し出を受けたため、彼を匿った車掌の話が残されている)。※出典を明らかにして下さい-->JR東海は数多くの乗客が車内で運行再開を待つ結果となったことについて、「もっと早く運転見合わせするべきだった」という批判にさらされた。また、この事態について[[運輸省]](現:[[国土交通省]])も同社JR東海に事情説明を求めた。数日後の社長定例会見では、社長である葛西が「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言したが、この発言にも批判が集まり、後の会見では「多くの乗客にご迷惑をおかけしました」と陳謝する事態に発展している。
 
==== 地下鉄 ====
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==== 在来線 ====
JR東海の在来線では11日夕から列車の運転が規制され、名古屋駅構内では[[帰宅困難者|家に帰れない通勤客]]で大混乱となった。[[東海道本線]]の下り[[岐阜駅|岐阜]]方面行きは11日深夜に一旦雨足が収まり運転が再開されたが、[[枇杷島駅]] - [[清洲駅]]間や[[稲沢駅]]付近で浸水被害のため数本の列車を運転しただけで再び運休となった。
 
翌12日は朝から全面運休となった。12日り、午後6時ごろまず岐阜方面が復旧した。この時点では[[稲沢線]]を経由した復旧だったため、清洲駅・稲沢の両駅に列車が到着したのは13日の始発からであった。また[[豊橋駅]]方面は[[大府駅]] - [[逢妻駅]]間の境川橋梁付近の浸水が特にひどく、全線復旧は14日の午後夕方4時半であった。
 
また中央本線を初め各線でも遅延運休が相次ぎ、[[高蔵寺駅]]でも浸水し、券売機や駅に入る商店街などが水に浸かる被害を受けた。
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* [[平成23年台風第15号]] - 東海豪雨の際の気圧配置と酷似していた。2011年9月20日発生。
* [[平成17年台風第14号#日本各地の被害状況|平成17年台風第14号]]・[[平成10年台風第4号]] - 東海豪雨と同じく、台風・停滞前線の組み合わせで豪雨となった。
* [[平成27年9月関東・東北豪雨]]
 
== 参考文献 ==