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{{by|1971年}}9月12日の対[[デトロイト・タイガース]]戦でMLB初[[本塁打]]を記録。
 
{{by|1972年}}にレギュラーを獲得し、前半戦で打率.310・15本塁打の成績で[[1972年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に初選出される。[[打率]].293・22本塁打・61[[打点]]、リーグトップの9[[三塁打]]、共にリーグ2位の[[長打率]].538・[[OPS (野球)|OPS]].909を記録し、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]を満票で受賞<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1972.shtml#ALroy|title=1972 Awards Voting|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013年2月2日}}</ref>。[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]の投票でも4位に入り、[[ゴールドグラブ賞]]も獲得した。
 
{{by|1973年}}は[[ニューヨーク・ヤンキース]]との開幕戦で満塁本塁打を含む2本塁打を放ち6打点を記録するなど、前半戦で18本塁打を放つが、後半戦で打率.196と不振に陥った。
 
{{by|1974年}}は故障で出遅れ、復帰後は好調だったものの6月28日を最後に左足を骨折して離脱し、52試合の出場に留まる。同年の[[1974年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]前の開会式では、松葉杖に支えられながら[[アメリカンリーグ]]のスター選手達とファウルライン上に並び、スタンドのファンの大喝采を受けた<ref name="118-119">{{Cite book|和書 |author=[[伊東一雄]]|year=4-583-03411-3 |title=[[メジャー・リーグ紳士録]]|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|pagepages=118-119 |isbn=4-583-03411-3}}</ref>。
 
{{by|1975年}}も故障で出遅れ、6月下旬に復帰。79試合の出場ながら打率.331・10本塁打・52打点を記録しチームの地区優勝に貢献。[[ワールドシリーズ]]3連覇中の[[オークランド・アスレチックス]]との[[1975年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では打率.417と活躍し、チームは3連勝で8年ぶりのリーグ優勝。[[シンシナティ・レッズ]]との[[1975年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では王手をかけられ、本拠地[[フェンウェイ・パーク]]で迎えた第6戦の延長12回裏に先頭打者として打席に立ち、レフトポールを直撃する[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]本塁打を放つ。ポール際に飛んだ打球に向かって両手を大きく右に振って「入れ、入れ」とジェスチャーする姿は全米の注目の的となり、当時世界一の名[[バレエダンサー]]だった[[ルドルフ・ヌレエフ]]ばりに「ヌレエフ・ダンス」と有名になった<ref name="118-119" />。後に「シリーズ史上最高のゲーム」と呼ばれるようになった試合の象徴的なシーンだった。チームは第7戦で敗れてワールドチャンピオンを逃す。レッズの[[スパーキー・アンダーソン]][[プロ野球監督#MLB|監督]]はフィスクの送球がシュート気味に二塁ベースの右の方に偏るのを見抜いて積極的に走らせ、レッズはこのシリーズでフィスクから9連続で[[盗塁]]を成功させている<ref name="118-119" />。
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{{by|2005年}}6月13日、レッズ戦の試合前にセレモニーが行われ、球団はフェンウェイ・パークの左翼ポールを「'''[[フェンウェイ・パーク#左翼ファウルポール:フィスク・ファウルポール|フィスク・ファウルポール]]'''」と命名した。
 
2012年10月22日、[[イリノイ州]][[ウィル郡 (イリノイ州)|ウィル郡]][[ニューレノックス]]のトウモロコシ畑の中で[[ウォッカ]]を飲み車で寝ていたところを通報され、飲酒運転の容疑で逮捕された。ワールドシリーズのサヨナラ本塁打から37年と1日後の事であった<ref>[{{Cite web |author=三尾圭 |date=2012-11-03 |url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2012/11/03/mlb_78/ |title=【MLB】ワールドシリーズ伝説のバッターがトウモロコシ畑で逮捕] |work=[[Sportiva|web Sportiva]] 2012年11月3日|publisher=[[集英社]] |accessdate=2017-09-17}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
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=== 獲得タイトル・表彰・記録 ===
* [[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]](1972年)
* [[ゴールドグラブ賞]]:1回 (1972年) 
* [[シルバースラッガー賞]]:3回 (1981年、1985年、1988年) 
* [[MLBオールスターゲーム]]選出:11回 (1972 - 1974年、1976年 - 1978年、1980年 - 1982年、1985年、1991年)
* [[サイクル安打]]:1回 (1984年5月16日)
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=== 背番号 ===
* '''40''' (1969年) 
* '''27''' (1971年 - 1980年)
* '''72''' (1981年 - 1993年)