「アメリカ合衆国社会党」の版間の差分

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[[1958年]]、[[マックス・シャハトマン]]の率いる、[[社会主義労働者党 (アメリカ)|社会主義労働者党]]を離脱したトロツキストからなる[[独立社会主義者同盟]]が社会党に加入した。
 
その後、[[トロツキズム]]から[[右翼][]に[[転向]]したシャハトマンは[[ソ連型社会主義]]への戦闘的抵抗および[[民主党 (アメリカ)|民主党]]と社会党との合併を主張し、[[1972年]]まで党の統一執行部を指導して党の主導権を掌握した。統一執行部は党が[[ベトナム戦争]]への反対決議を採択しようとするとこれを妨害し、[[1972年アメリカ合衆国大統領選挙|同年の大統領選]]では、当初[[ヘンリー・M・ジャクソン]]を支持したものの初期の段階でジャクソンの敗北が確実になると[[リチャード・ニクソン]]に対する党としての反対行動を拒否した。
 
これに対し、2つの派閥が社会党から分裂した。1つは[[マイケル・ハリントン]]率いる合同執行部で、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の反戦主義者[[ジョージ・マクガヴァン]]を支持していた同派閥は分裂後に[[民主社会主義組織委員会]]となり、のちに[[アメリカ民主社会党]]となった。もう一派は[[ベンジャミン・スポック]]の[[アメリカ人民党|人民党]]を支持していた左派のデブス執行部で、分裂後に[[民主社会主義者連合]]となり、[[1973年]]にSPUSAとなった。