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|五輪=[[アテネオリンピック (2004年) における野球競技|2004年]]
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'''ニックコラス・ウィリアム・マーケイキス'''('''Nick(Nicholas William Markakis''', [[1983年]][[11月17日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]][[グレンコーブ (ニューヨーク州)|グレンコーブ]]出身の[[プロ野球選手]]([[外野手]])。本名は'''ニコラス・ウィリアム・マーケイキス'''(Nicholas William Markakis)。左投左打。現在は、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[アトランタ・ブレーブス]]に所属している。
 
「'''マーカーキス'''」と表記されることもある。
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[[2003年のMLBドラフト]]で[[ボルチモア・オリオールズ]]から1巡目(全体7位)で外野手として指名され、プロ入りする。同年には[[マイナーリーグ]]のSS-A級[[アバディーン・アイアンバーズ]]で59試合に出場。地元を離れたことによる[[ノスタルジア|ホームシック]]や投手への未練、さらには金属[[バット (野球)|バット]]から木製バットへの対応など様々な要因に苦しむが<ref>Benjamin Hill / MLB.com, "[http://web.minorleaguebaseball.com/news/article.jsp?ymd=20091222&content_id=7846944&vkey=news_milb&fext=.jsp Path of the Pros: Nick Markakis / Adjustments helped speed ascent to Camden Yards]," ''The Official Site of Minor League Baseball'', December 23, 2009. 2010年10月9日閲覧。</ref>、打率.283を記録した。
 
{{by|2004年}}には、ギリシャ系とドイツ系の[[混血|ハーフ]]であることから、8月の[[2004年アテネオリンピック (2004年) における野球競技|アテネ五輪オリンピック]][[野球ギリシャ代表|ギリシャ代表]]の一員としてに選されたチーム同大会ではギリシャが大会唯一の勝利を挙げた21日の[[野球イタリア代表|イタリア]]戦では、3打数2安打4打点と活躍した<ref>「[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/athens/data/result/babaseball-per-ita-gre.html 8月21日(土) 第4試合]」 『スポーツナビ』、2004年8月29日。2010年7月18日閲覧。</ref>。22日の[[2004年アテネオリンピック野球競技・日本代表|日本]]戦では5番・[[指名打者]]として先発出場した後に9回表には投手としても登板。[[高橋由伸]]に[[死球]]を与えたが、続く[[城島健司]]を一邪飛に、[[中村紀洋]]を内野ゴロ[[併殺|併殺打]]に打ち取った<ref>「[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/athens/live/babaseball-per-gre-jpn.html 日本、投打にギリシャを圧倒! 予選リーグ1位通過を決める]」 『スポーツナビ』、2004年8月22日。2009年5月15日閲覧。</ref>。本人は「あの大会に出場したので一皮むけた」と振り返っている<ref name="slugger2009" />。
 
{{by|2005年}}はA+級[[フレデリック・キーズ]]、AA級[[ボウイ・ベイソックス]]の2球団合計で打率.311・15本塁打を記録。
 
{{by|2006年}}はAAA級[[オタワ・リンクス]]でプレーする予定だったが、[[スプリングトレーニング]]で首脳陣から高い評価を受け、開幕メジャー入りを果たした<ref>[[石山修二]] 「2006 通信簿 File:088 ニック・マーケイキス」 『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、43頁。</ref>。4月3日の開幕戦でメジャーデビュー後、他選手との兼ね合いもあり序盤は外野3ポジションを転々としていたが、その後[[右翼手|右翼]]のレギュラーに定着して147試合に出場。前半戦こそ打率.268・2本塁打・21打点と低調だったものの、後半戦は、打率.311・14本塁打・41打点と好成績を記録。8月の[[ルーキー・オブ・ザ・マンス|月間最優秀新人]]に選出され、シーズン終了後には[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]投票で6位に入った。
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{{by|2009年}}1月には6年6,610万ドルという大型契約を締結し、球団社長[[アンディ・マクフェイル]]から「ニックはまだ25歳だというのに既にメジャー最高の外野手のひとりになっている。しかも彼の全盛期はまだこれからじゃないか」と高い期待をかけられた<ref>Spencer Fordin / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090122&content_id=3764264&vkey=news_bal&fext=.jsp&c_id=bal MacPhail: Markakis was top priority / Orioles right fielder pleased with direction club is headed]," ''orioles.com'', January 22, 2009. 2009年5月15日閲覧。</ref>。その2009年は、いずれも2年連続で記録し続けていた打率.300と20本塁打のどちらにも到達しなかったが、打点は2年ぶりに100の大台を突破した。
 
{{by|2010年}}は、いずれも自己最低の12本塁打・60打点に終わるなど、打撃面で精彩を欠いたが、打率はメジャーデビュー以来5年連続で.290以上の数字を残した。また、四球の数が、2008年に記録した自己最多の99四球に次ぐ数字(73四球)をマークした為、出塁率も自身で2番目に高い数字となった。
 
{{by|2011年}}は自身初となる[[ゴールドグラブ賞]]を受賞した。
 
{{by|2012年}}はチームは15年ぶりにポストシーズン進出を果たしたが、マーケイキス自身は9月に死球で親指を骨折したためメンバーから外れた。
 
{{by|2014年}}は3年ぶりとなるゴールドグラブ賞を受賞した。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]となった。
 
=== ブレーブス時代 ===
2014年[[12月3日]]に[[アトランタ・ブレーブス]]と4年契約を結んだ<ref>[http://m.braves.mlb.com/news/article/103087818/nick-markakis-coming-home-to-play-for-braves Markakis coming home to play for Braves]</ref>。
 
{{by|2015年}}、ブレーブスでも引き続き[[は正右翼手|ライト]]のレギュラーでとして起用された。二塁打こそ38本放ったものの、本塁打は3本のみだったが、4年ぶりの180本以上となる181安打を放ち、打率.296をマークした。また、5シーズンぶりとなる70四球以上と出塁率.370以上のラインもクリアし、[[選球眼]]の面でも力を発揮した。自慢のライトの守備は、2012年以来となる[[失策]]を犯し、[[守備防御点|DRS]]も - 6まで落ち込むなど、実力を発揮低下切れなかった。
 
{{by|2016年}}は長打力の水準が戻り、158試合で38二塁打・13本塁打を放って89打点を叩き出記録した。打点については、2009年に100打点超を記録して以来の高水準だった。また、ディフェンス面でも[[ゴールドグラブ賞]]の常連だった頃のレベルに戻り、ライト150試合で4失策ながら、DRS + 10・[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]] + 1.3を記録した。
 
{{by|2017年}}8月3日のドジャース戦で[[アレックス・ウッド]]から通算2000本安打を達成した<ref>[http://m.braves.mlb.com/news/article/246285340/braves-nick-markakis-gets-2000th-career-hit/ Steady Markakis collects 2,000th career hit] ''MLB.com'' {{en icon}} (2017年8月4日) 2017年8月4日閲覧</ref>。
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=== 代表歴 ===
* 2004年アテネオリンピック野球ギリシャ代表
 
== 脚注 ==