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[[東京]]生まれ。小学校から大学まで[[学校法人成蹊学園|成蹊学園]]に学び、[[成蹊大学]]政治経済学部卒業。[[東京大学]]大学院文学部西洋古典専攻修士課程修了後、[[フランス国立科学研究センター]]時代に[[比較神話学]]の碩学[[ジョルジュ・デュメジル]]の指導を受ける。
[[民族学者]]の[[大林太良]]が[[ギリシア神話]]と[[日本神話]]との間に見られる類似を、日本の神話の系統論・[[比較神話学]]として論じると一貫して支持、日本神話と[[印欧語族]]神話を比較する学術論文を、欧米の学術誌などに発表する。著作では『日本神話と印欧神話』で日本神話に見られる三機能体系について論じ、『ヤマトタケルと大国主』において、『記紀』の登場人物と印欧神話の登場人物との比較を行っている。1980年の[[哲学奨励山崎賞]]を受賞。ギリシアの神話や文化の研究でも知られ、『ギリシァ文化の深層』で [[サントリー学芸賞]](1984年度)を受賞する一方で、縄文人の宗教や文化に関する著作も目立つ。
== 略歴 ==
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*2013年 [[瑞宝中綬章]]受勲。
成蹊大学の学生時代に、[[マックス・ウェーバー]]の『[[職業としての学問]]』を読んだことがきっかけで[[西洋古典学]]を志し、[[アテネ・フランセ]]で[[ギリシア語]]、[[ラテン語]]を学び、東京大学大学院に進む
吉田はデュメジルが意図的に避けていたギリシア神話における三機能形態(主な神々が、'''[[祭政一致|祭祀・主権者]]、[[戦士]]、[[庶民|食糧生産者]]'''の三つの機能を分担するグループに分かれているという構造。この神話のもとでは、人間社会にもこの三階層の身分が成立することで秩序が保たれるという思想がみられ、王権をつかさどる宝器にもこの三機能が象徴されている)の研究を行い、この過程でギリシア神話をはじめとする印欧語族の神話と日本神話の類似に気づき、両者の関係について論じた論文を1961年から1963年の3回にわたって発表している(『宗教史学雑誌』)。<br/>同時期に日本では[[大林太良]]が、日本神話とギリシア神話との類似について論じており(『日本神話の起源』1960年)、2人は知り合いとなって交流が始まっている。<br/>また三機能形態をギリシア神話に照合させるという共通の研究テーマから、[[スコット・リトルトン]]とも知り合いとなっている。
その後、ジュネーブ大学文学部の非常勤講師として日本の宗教、神話を、[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]](UCLA)の招待講師として[[古代ローマ]]の宗教について講じ、1969年に帰国、翌1970年に成蹊大学助教授となっている。吉田は大林太良の強い要望を受けて帰国後も日本神話の比較研究を継続するが、こうした研究に対して[[大野晋]]や[[大岡昇平]]らが評価し、大野晋に誘われ学習院大学に移った。
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