「里山浩作」の版間の差分
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2017年9月場所番付発表 |
→来歴: 里山の中学校入学は奄美市発足より前。 |
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== 来歴 ==
奄美の土地を自ら開拓して「里山観葉植物園」を作った父の元に里山は生まれた
[[序ノ口]]となった翌5月場所では、同場所において初土俵を踏んだ同部屋の[[把瑠都凱斗|把瑠都]]との稽古で負傷し、最初の二番相撲を休場するが、その後から出場して全て勝利し、5勝2休の成績を挙げて勝ち越しを果たした。同年9月場所では[[序二段]]で7戦全勝の成績を挙げて優勝決定戦へ進出したものの、優勝決定戦では把瑠都に破れて優勝は逃した。[[幕下]]へ昇進した2005年1月場所には初めて負け越しを経験したが、翌3月場所から4場所連続で勝ち越し、東幕下4枚目の位置まで番付を上げた同年11月場所でも5勝2敗と勝ち越しを決め、翌2006年1月場所には新十両へ昇進した。同年8月には尾上親方が新設した尾上部屋へと移籍した。約1年にわたって十両を務めた後、2007年3月場所に東十両4枚目の位置で12勝3敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、翌5月場所に新入幕(西前頭12枚目)。新入幕となった2007年5月場所では7勝8敗と負け越し、続く7月場所でも2勝13敗と大敗して、翌9月場所において十両へ陥落(西十両5枚目)。
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