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[[File:Gewehr Japan(Mirror).jpg|thumb|300px|ゲベール銃。写真の銃は「日本でゲベール銃として展示されているもの」として引用されるが、正確には本稿で記述されるオランダ製ではなく、[[会津藩]]が1840年代に導入した{{仮リンク|バイエルンM1842マスケット|en|Bavarian Model 1842 Musket}}である<ref>"Japanese Military Uniforms 1841-1929" by Ritta Nakanishi {{ISBN|4-499-22737-2}}</ref>。バイエルンM1842は本来は滑腔銃身のゲベール銃であるが、[[バイエルン公国]]本国では[[ミニエー銃]]登場後銃身に[[ライフリング]]を刻まれ、{{仮リンク|ライフルド・マスケット|en|Rifled Musket}}に改修された。]]
[[File:Gewehr Japan(Mirror).jpg|thumb|300px|ゲベール銃]]
'''ゲベール銃'''(ゲベールじゅう)とは[[前装式]]([[マズルローダー]]式)、滑腔銃身([[ライフリング]]がない)、[[フリントロック式]](燧石式)、または[[パーカッションロック式]](雷管式)の洋式[[小銃]]である。すなわち、[[マスケット銃|マスケット]]と呼ばれるものと同一であるが、[[幕末]][[日本]]では特にこう呼ぶものである。「ゲベール」([[:nl:Geweer|Geweer]])とはオランダ語で「[[小銃]]」を意味するが、本来のオランダ語での発音は「へヴェール」に近い。
 
== 概要 ==
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== 歴史 ==
[[1670年代]]に[[フランス]]で開発され、[[1777年]]に[[オランダ]]が制式採用した。著名なものではフランスにおける[[シャルルヴィル・マスケット]]やその1777年型である{{仮リンク|マスケットM1777|en|Musket Model 1777}}、同時期のイギリスにおける[[ブラウン・ベス]]、アメリカの[[スプリングフィールドM1842]]以前の[[スプリングフィールド造兵廠#製品|各型]]がゲベール銃の範疇に含まれる。元々「敵の密集兵団の中に打ち込んで、混乱させる」という使用目的の銃で大量生産と構造の簡略化を優先としているため、命中精度は悪い。初期は燧石式だったが、後に管打式(雷管式)に改められた。射程距離は同じ前装式滑腔銃である[[火縄銃]]と同程度だが、特に燧石式は着火時の衝撃が火縄銃と比べて大きいため、命中精度では劣る。しかし、裸火の火縄銃では、密集形態を伴う西洋式の部隊行動([[戦列歩兵]])を行なうのは暴発の危険が大きく困難であり、また火縄銃とは異なり[[銃剣]]を装備できる。
 
日本では、幕末期に西洋軍制を導入した[[江戸幕府]]や[[藩]]が相次いでゲベールを購入した。[[1831年]]に砲術家の[[高島秋帆]]がオランダから輸入したのが始まりとされる。幕末の早い段階から輸入が開始され、既に[[ライフリング|施条銃]]の時代となっていた西欧から旧式のゲベールが大量に日本に輸出された。また輸入だけではなく、火縄銃とは発火装置が異なる程度だったため各地で国産ゲベールが製造されたほか、火縄銃の発火装置を管打式に改造したゲベールも見られる。そのため値崩れを起こし、価格は1挺5両ほどにまで下がった。
 
欧米では、随時ライフリングが刻まれて[[ミニエー銃]]に改修されたり、滑腔銃身のまま{{仮リンク|ミニエー弾|en|Minié_ball}}や[[椎の実弾|プリチェット弾]]が配布されたり、中には後装式に改造されるまで使い切られるゲベール銃も存在したが、日本ではほとんどそのような改修や運用は行われなかった。
 
輸入が始まった頃は[[薩摩藩]]・[[長州藩]]や幕府軍で採用されていたが、薩摩・長州では早い段階から、ゲベールよりも新式で命中率・射程距離に優れた施条銃である[[ミニエー銃]]や[[スナイドル銃]]へと更新を進めた。幕府軍も[[第二次長州征討]]以降は積極的に施条銃を導入し、[[幕府陸軍]]の歩兵隊などに支給した。そのため[[戊辰戦争]]時点ではゲベールは時代遅れの銃となっていた。