「エドゥサ革命」の版間の差分

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亡命先のアメリカで、反マルコス活動を続けていた[[ベニグノ・アキノ・ジュニア]]は、その後大統領選挙への立候補を行うために[[フィリピン]]への帰国を決断し「帰国した場合、命の保証は出来無い」とマルコス大統領から警告を受けていたにも関わらず、[[1983年]][[8月21日]]に亡命先のアメリカから[[中華民国]]の[[台湾桃園国際空港|中正国際空港]]経由で帰国した。しかし[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ国際空港]]に搭乗機が到着し、警護役のフィリピン軍兵士に機内から連行され[[ボーディングブリッジ]]脇の階段を降りた直後に[[射殺]]された。
 
この暗殺事件は、[[世界]]的にマルコス大統領に対しての非難を呼ぶと共に、国内においてくすぶっていた反マルコスの機運を爆発させることになった。実際に、それまで散発的な行動でしかなかった反マルコス運動が、一夜にしてフィリピン全土を覆うようになり、マルコス大統領の独裁体制のみならず[[イメルダ・マルコス|イメルダ夫人]]の豪勢な生活スタイルや、一族による[[汚職]]にまで非難が集中するようになった。
 
アキノ暗殺事件では、多くのフィリピン国民がマルコス大統領自身が直接関与していないにせよ、隠蔽工作には関わっていると考えていた。[[1985年]]に暗殺事件の容疑者として起訴された、国軍参謀総長の[[ファビアン・ベール]][[大将]]らの無罪判決は、裁判の公正性への疑問と共に、この考えをより強くさせるものだった。