「レオポルド1世 (ベルギー王)」の版間の差分

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|在位=[[1831年]][[7月21日]] – [[1865年]][[12月10日]]
|戴冠日=
|別号=ケンダル伯
|全名={{Lang|fr|Léopold Georges Christian Frédéric}}<br />レオポルド・ジョルジュ・クリスチャン・フレデリック<br />{{Lang|de|Leopold Georg Christian Friedrich}}<br />レオポルト・ゲオルク・クリスティアン・フリードリヒ
|出生日={{生年月日と年齢|1790|12|16|no}}
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|埋葬日={{BEL}}、[[ブリュッセル]]、[[ラーケン]]、[[ノートルダム・ド・ラーケン教会]]
|埋葬地=
|配偶者1=[[シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ|シャルロッテ・アウグスタ・フォン・ヴァレス]]
|配偶者2=[[ルイーズ=マリー・ドルレアン]]
|子女={{Collapsible list|title=一覧参照|[[ルイ=フィリップ (ベルギー王太子)|ルイ=フィリップ]]<br />[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]<br />[[フィリップ・ド・ベルジック (フランドル伯)|フィリップ]]<br />[[シャルロッテ・フォン・ベルギエン|シャルロット]]}}
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[[1795年]]、5歳の時に[[ロシア帝国|ロシア]]の近衛軍[[イズマイロフスキー連隊]]の大佐となり、それから7年後には少将になった。この時、祖国ザクセン=コーブルク公国は[[フランス第一帝政|フランス]]軍の占領下にあった。[[1806年]]に[[パリ]]へ行った。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]と会った時、自分の副官になるつもりはないかと持ちかけられたが、レオポルトはこの申し出を断った。その後、レオポルトは兄たちに続き[[ナポレオン戦争]]に加わることになった。
 
[[1815年]]に陸軍元帥になった。この年ロシア皇帝[[アレクサンドル1世]]の親友として、皇帝と共に[[ロンドン]]を訪れた。この時[[摂政皇太子|摂政]][[プリンス・オブ・ウェールズ|王太子]]ジョージ(後の[[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]])の一人娘[[シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ|シャーロット]]王女に見初められ、[[5月2日]]に2人は結婚した。しかしシャーロットは[[1817年]][[12月5日]]に息子を死産した後、間もなく死去してしまった。レオポルトはその後も[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]に留まり、国から毎年5万ポンドの年金を給付されてしばらくは数々の趣味に没頭していた。
 
[[1830年]]に[[オスマン帝国]]から[[ギリシャ独立戦争|独立]]した[[ギリシャ王国|ギリシャ]]から国王就任要請の打診をされたが、これを断った。しかし[[1831年]][[6月26日]]には、前年に[[ネーデルラント連合王国|オランダ]]から[[ベルギー独立革命|独立]]したベルギーから再び国王就任要請があり、今度は承諾することにした。[[7月21日]]に[[ブリュッセル]]の王宮で初代ベルギー国王に即位した。
 
[[1832年]][[8月9日]]、[[7月王政|フランス]]国王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ=フィリップ1世]]の娘[[ルイーズ=マリー・ドルレアン|ルイーズ=マリー]]と婚した。
 
1865年12月10日に[[ブリュッセル]]で死去した。
 
== 人物 ==
姪のイギリス王女[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]と甥の[[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|アルブレヒト公子]]の良き相談相手であり、2人からとても信頼され、慕われていた叔父であった。レオポルド1世は、後にこの2人を結びつける役割を果たした。2人を結婚させようと考えたのは、国王になったとはいえベルギーはあまりにも小さく、他の国々へもさらなる勢力拡大を図るため、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]と[[イギリス王室]]を結びつけようとしたためといわれている。また「ヨーロッパ一美しい王女」と溺愛する[[シャルロッテ・フォン・ベルギエン|マリー=シャロット]]をオーストリアのハプスブル[[マ家のシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン=フェルディナント]]大公と結婚させた。
 
[[フリーメイソン]]の会員だった<ref name="gob">[http://www.gob.be/FR/Force/macons_celebres/par_ordre_alphabetique.php Famous Masons, [[Grand Orient of Belgium]] website]</ref>。
 
== 家族 ==