「ブトロス・ブトロス=ガーリ」の版間の差分

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|religion = [[コプト正教会]]
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'''ブトロス・ブトロス=ガーリ'''({{Lang|en|Boutros Boutros-Ghali}}、[[1922年]][[11月14日]] - [[2016年]][[2月16日]])は、[[エジプト]]の[[国際法]][[法学者|学者]]で、第6代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]。事務総長在任当時の報道等では'''ブトロス・ガリ'''と表記されることが多かった。[[アフリカ大陸]]出身者では初の国連事務総長。[[1997年]]から[[2002年]]まで[[フランコフォニー国際機関]]事務総長を務めた。
 
{{翻字併記|ar|بطرس بطرس غالي|Butrus Butrus Ghālī}}(ブトロス・ブトロス・ガーリー)。「ブトロス」とは[[ラテン語]]の[[ペトルス]]や[[フランス語]]の[[ピエール]]、[[英語]]の[[ピーター]]と同一の語源を持つ名前で、[[使徒]][[ペトロ]]に由来する。
 
== 経歴 ==
1922年、[[カイロ]]に生まれる。[[コプト正教会]]信徒であり、[[ユダヤ人|ユダヤ]]系エジプト人のレイア・マリアを妻に持つ<ref>"{{Cite news|title=At Home With: Boutros Boutros-Ghali|newspaper=[[ニューヨーク・タイムズ|New York Times]]|date=October 19, 1995|url=http://www.nytimes.com/books/97/07/20/reviews/ghali-home.html At Home With: Boutros Boutros-Ghali]", ''New York Times'', October 19, 1995.}}</ref>。祖父の[[ブトロス・ガーリー]]は[[ムハンマド・アリー朝]]期に[[首相]]を務めた。[[カイロ大学]]を卒業し、[[1946年]]に[[パリ大学]]において国際法で[[博士]]号を取得、同年よりカイロ大学教授として国際法および[[国際関係論]]を講じた。
 
[[1977年]]、大統領[[アンワル・アッ=サーダート]]によって外務担当国務大臣代行に任ぜられ、[[イスラエル]]との和平合意に尽力した。サーダート暗殺後も、[[ホスニー・ムバーラク]]の元で[[1991年]]まで務めた。[[1989年]]、ムバーラクに随行して日本の[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]に参列している。
 
[[1992年]]、第6代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]に選出された。[[アフリカ大陸]]出身者では初の国連事務総長。『[[平和への課題]]』(アジェンダ・フォー・ピース)などの提言書を次々と発表し、[[国際連合|国連]]改革(主に財政改革)、[[国連平和維持活動|PKO]]改革を実施した。就任時点での年齢69歳と1ヶ月は、歴代の国際連合事務総長のなかで最高齢の記録である。
 
しかし、ガーリが主張したPKO改革の大きな柱であった「平和強制部隊(平和執行部隊)」は、[[ソマリア内戦]]への介入([[第二次国際連合ソマリア活動]])で予想以上の損害を出し、アメリカ軍を始めとした平和強制部隊を構成する部隊の多くが撤退。ソマリア内戦は一層の泥沼化を見せて、ガーリの平和強制部隊構想は失敗に終わる。また、この失敗を受けて、[[1996年]]の事務総長選挙の際にはアメリカが[[拒否権]]を発動して再選を阻止したため退任した。この判断には圧倒的多数の理事国がガーリを選出していたにも関わらず、アメリカ一国の反対で押し切られたとして、国際社会から大きな批判がアメリカに集中した。一方で[[整理解雇|人員削減]]・給与カットなどに終始し、国連の業務に支障が出るなど、改革が必ずしもいい方向に行かなかったためにアメリカは分担金の支払いを拒否しており、この退任は妥当であるという評価もある。学者であるがゆえに国連政策の理論を構築したが、実務面では非常に評価が低いという見方も存在する。国連改革およびガーリの後任は、国連事務局に長年勤めていた[[コフィー・アナン]]に引き継がれることになる。
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== 参考文献 ==
* 西山教行「[http://www.momiji.h.kyoto-u.ac.jp/~nishiyama/Francophonie2003.pdf フランコフォニーの成立と展望]」『フランス語教育』特別号、21-31ページ、2003年
* {{citeCite news |title=Boutros Boutros-Ghali: The world is his oyster |newspaper=Al-Ahram Weekly |date=10-18 January 2006 |url=http://weekly.ahram.org.eg/2006/777/profile.htm |accessdate=2011-02-25|language= en|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120630162722/http://weekly.ahram.org.eg/2006/777/profile.htm |archivedate=2012年6月30日 |deadurldate=2017年9月}}
* {{Cite web |url=http://www.francophonie.org/Les-anciens-Secretaires-generaux.html |title=Les anciens Secrétaires généraux |publisher=[[フランコフォニー国際機関|Organisation Internationale de la Francophonie]] |accessdate=2011-02-25 |language= fr[[フランス語]]}}
 
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