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[[オルレアン公]]ルイ・フィリップ3世(後の[[フランス王国|フランス]]国王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]])とその妃である[[マリー・アメリー・ド・ブルボン|マリー・アメリー]]([[両シチリア王国|両シチリア]]王女)の長女として、[[パレルモ]]で生まれた。父ルイ・フィリップの国王即位([[1830年]])とレオポルドの初代ベルギー国王即位([[1831年]])の後の[[1832年]]に、[[コンピエーニュ]]でレオポルドと結婚し、ベルギー王妃となる。
 
ベルギー王家である[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]は[[エルネスティン家]]の分枝の一つで新興元来は[[ザクセン公国|ザクセン系]]小領邦の君主の家柄であったが、この婚姻により[[ブルボン家]]や[[ハプスブルク=ロートリンゲン家|ハプスブルク家]]との縁が深まり、有力な家柄の一つとなった。
 
1850年、ルイーズ=マリーは[[結核]]によりレオポルドに先立って[[オーステンデ]]で死去し、[[ラーケン]]の[[ノートルダム・ド・ラーケン教会|ノートルダム教会]]に葬られた。