「佐川一政」の版間の差分

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== 人物 ==
=== 経歴 ===
[[兵庫県]][[神戸市]]生まれ。[[学校法人聖ミカエル学院|聖ミカエル学園]]から[[神奈川県立鎌倉高等学校]]を経て[[和光大学]][[人文学部]]文学科卒業、[[関西学院大学]][[大学院]][[文学研究科]]英文学専攻修士課程修了、[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院比較文学専攻修士課程修了。[[1981年]](昭和56年)の時点では身長152cm、体重35kg。
 
祖父は[[朝日新聞]]論説委員であり、父は[[伊藤忠商事]]からの出向により[[栗田工業]]社長を務めた[[佐川明]]。叔父は、[[歌手]]・[[俳優]]の[[佐川満男]]<ref>「バラバラ殺人犯の知られざる素顔 叔父の佐川満男も『あのおとなしい男が…』と絶句」『[[週刊明星]]』1981年7月9日号、[[集英社]]</ref><ref>[[本橋信宏]]『素敵な教祖たち サブカルチャー列伝 業界カリスマ17人の真実』コスモの本、1996年、p.156。インタビューでの佐川一政の発言による。</ref>。
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==== フランス留学 ====
{{main|パリ人肉事件}}
[[1977年]](昭和52年)から[[フランス]]に留学し、[[1980年]](昭和55年)、[[パリ大学|パリ第3大学]][[大学院]]比較文学専攻修士課程修了。引き続き同大学院博士課程に在籍していた[[1981年]](昭和56年)[[6月11日]]、佐川は同大学の[[オランダ人]]女性留学生(当時25歳)が自室を訪れた際、彼女を背後から[[カービン]]で撃って殺害。[[屍姦]]の後、解体し写真に撮り、いくつかの部分の肉を食べた。
 
そのあと佐川は女性の遺体を遺棄しようとしているところを目撃されて逮捕され、犯行を自供したが、取調べにおける「昔、[[腹膜炎]]をやった」という発言を通訳が「[[脳膜炎]]」と誤訳したことから<ref>[[鈴木邦男]]『続・夕刻のコペルニクス』[[扶桑社]]、[[1998年]]、p.171</ref>、[[精神鑑定]]の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、[[不起訴処分]]となった。その後、アンリ・コラン[[精神病院]]に[[措置入院]]されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の[[唐十郎]]に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」(『文藝』1982年11月号)で第88回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞する。