「ミディ運河」の版間の差分

この運河の建設プランは、[[ベジエ]]出身の徴税吏{{仮リンク|ピエール=ポール・リケ|en|Pierre-Paul Riquet}}により発案された。大西洋岸から地中海沿岸に貨物を輸送するための航路を約 3,000 km 短縮し、[[ジブラルタル海峡]]の通行税をスペインから削ぐことができる建設プランは、国王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]により国家プロジェクトとして認められた。
 
[[1666年]]に開始された工事は、当時の[[土木技術]]の最先端を駆使したものであった。標高差のある運河全域に水を供給するため、運河から約20km離れた標高350mの位置に[[サン・フェレオール貯水池]]を築き、ここから水路を通して運河の最高地点である標高190mのノルーズの[[分水嶺]]へと水を導き、さらに途中にいくつかの人造湖を築くことで、まんべんなく水を行き渡らせることに成功した。さらに起伏の多い地形を克服するために運河橋を架け、トンネルを掘り、100を越える水門を築いた。なかでも標高差 21 [[メートル|m]] を7つの[[閘門]](ロック)で1時間かけて上下させるフォンセランヌの7段ロックは、この運河のハイライトとなっている。工事は難工事続きで、国家からの予算だけで賄うことはできず、リケは家財を売り払い、娘の持参金をも注ぎ込んだといわれる。しかし、リケはこの運河の完成を見ることなく1680年に世を去った。工事は彼の息子が引き継ぎ、リケの逝去から7ヶ月後の[[1681年]]に完成した。その後水害などの被害を受け改修がなされ、1694年に最終的に完成した。
 
この運河の完成で、運河沿いの地区の産物の流通が盛んとなり、[[ボルドー]]、[[サンテミリオン]]、[[ラングドック]]地方の[[ワイン]]は飛躍的に生産量を伸ばした。その結果、リケの故郷[[ベジエ]]はワイン交易の中心地として大いに発展した。
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