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日本の神は本来、祟るものであり、タタリの語は神の顕現を表す「立ち有り(タツとアリの複合形)」が転訛したものという[[折口信夫]]の主張が定説となっている<ref name=mano>「たたり・怨霊・異人」[[真野俊和]]、『民俗宗教』第2集(東京堂出版、1989)、p1 </ref>。流行り病い、飢饉、天災、その他の災厄そのものが神の顕現であり、それを畏れ鎮めて封印し、祀り上げたものが神社祭祀の始まりとの説がある。<ref>『宗教学辞典』小口偉一・堀一郎監修 東京大学出版会 1973年</ref>
 
現在では一般的に{{要出典|date=2010年3月}}、人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力が人に及ぶと考えられている。何か災厄が起きたときに、[[卜占]]や[[託宣]]などによってどの神がどのような理由で祟ったのかを占って初めて{{要出典|date=2010年3月}}人々に認識され、罪を償いその神を祀ることで祟りが鎮められると考えられている。[[神仏習合]]の後は、本来は人を救済するものであるはずの仏も、神と同様に祟りをもたらすと考えられるようになった。これも、仏を祀ることで祟りが鎮められると考えられた。しかし、これは土着信仰との混淆であり、'''[[初期仏教|根本仏教]]{{要出典|date=2010年3月}}の考え方においては、祟りや[[仏罰]]を与えることはない'''。
 
==怨霊による祟り==