「浪曲天狗道場」の版間の差分

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== 概要 ==
戦前から引き続き、ラジオの浪曲が大人気を持つ中、1954年4月7日に[[正岡容]]、[[東家楽浦]]、[[三門博]]、[[小島貞二]]を審査員に司会はアナウンサーの[[芥川隆行]]で始まった「素人浪曲のどくらべ」を前身番組として同年10月26日に始まり<ref>唯p.245-246</ref>強烈な個性で人気を集めたのが聴取者参加の浪曲物まね「浪曲天狗道場」だった。先行した日本文化放送(現在の[[文化放送]])の「浪曲学校」を、スポンサーごと引き取り放送することに一度は決まるが、日本文化放送が巻き返し、互いに譲らず2局が同企画で競合することになった。スポンサーの大正製薬<ref group="注釈">戦前から多く行われていた「薬宣興行」と同じ枠組みであることも注目されたし。</ref>は板ばさみとなり、系列会社の目白製薬にラジオ東京のほうを引き受けさせて落着したが、別の出演者で後を追った「浪曲天狗道場」が本家のお株を奪い、圧倒的な人気番組にのしあがる。新聞はこのいきさつを「民放、スポンサー獲得に大童“浪曲学校”にKRと文化で一波乱」<ref>『毎日新聞』夕刊、1954年9月16日夕刊</ref>と報じた<ref>唯二郎『実録浪曲史』p.245-246,248,253,260-263</ref>。
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! 曜 !! 番組名 !! 放送局 !! 聴取率