「フリードリープ・フェルディナント・ルンゲ」の版間の差分

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[[ハンブルグ]]のビルヴェルダー自治区(Hamburg-Billwerder)で生まれた。父親は牧師であったが、裕福でなく小学校を出た後働きに出て、1810年から1816年の間は[[リューベック]]で薬剤師として働いた後、[[ベルリン大学]]、[[ゲッティンゲン大学]]、[[イエナ大学]]で薬学を学んだ。その後イエナ大学で化学を学んで染料の研究で学位を得た。1819年に自然科学にも興味を持っていた[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]に自らの実験結果をしめした所、ゲーテに示唆されて、数ヶ月後、コーヒーの成分、[[カフェイン]]の単離に成功した<ref>1866年のルンゲの著書、"Hauswirtschaftlichen Briefen”(Johann Wolfgang von Goethe with F.W. von Biedermann, ed., Goethes Gespräche, vol. 10: Nachträge, 1755–1832 (Leipzig, (Germany): F.W. v. Biedermann, 1896), pages 89–96に再録)によれば、ルンゲはゲーテに招かれ、実験の方法を説明し、感心され、ギリシャ人からもらったコーヒーの箱を渡され、研究に役立ててほしいと言われ、これがカフェインの単離、発見につながったとしている。 </ref>。1826年に[[ヴロツワフ大学|ブレスラウ大学]]の講師となり、1828年に技術の非常勤教授となったが、1832年に大学をやめ、[[オラニエンブルク]]の化学工場で、工業化学者として働いた。
 
当時、[[コークス]]の製造時の副生物で、ほとんど廃棄されて、環境問題も起こしていた[[コールタール]]の有効利用の分野の研究で知られる。ルンゲがコールタールを蒸留して得た化合物に「キアノール」があり、これは後に[[アウグスオッヴィウンフェム・フォン・ホフマン|ウンェルドルベン]]によってやフリッチェが植物染料から得られ([[インディゴ]])を処理し発見した[[アニリン]]と同じものであることが後に[[アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン|ホフマン]]によって示された。その他に[[ピロール]]、[[キノリン]]、[[フェノール]]、アウリンなどを得た<ref>J. Fritzsche: ''Über das Anilin, ein neues Zersetzungsprodukt des Indigos''. In: ''[[Annalen der Chemie]]''. 36&nbsp;(1), 1840, S.&nbsp;84–90, {{DOI|10.1002/jlac.18400360108}}.</ref>。
 
その他のルンゲが発見した重要な化合物には[[チモール]]や植物[[アルカロイド]]の[[アトロピン]]などもある<ref name=Gossauer>Albert Gossauer: ''Struktur und Reaktivität der Biomoleküle.'' Verlag Helvetica Chimica Acta, Zürich 2006, ISBN 978-3-906390-29-1, S. 184.</ref>