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=== 日本ハム時代 ===
2007年11月19日に開催された[[2007年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]](大学生・社会人ほか対象)で[[北海道日本ハムファイターズ]]から1巡目指名を受けた。[[大場翔太]]([[東洋大学]])と[[服部泰卓]]([[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]])の交渉権獲得に相次いで失敗した後の指名であった(いわゆる外れ外れの1位)。契約金6000万円、新人としては異例の年俸3000万円で契約した(金額は推定)。なお、この3000万円の年俸に関して、12球団の申合せ事項で定められた最高標準額(年俸1500万円)を超える額であるとの指摘もされているが、日本ハム側は「年俸に関しては上限は無い」との解釈をしてこの契約に至った<ref>{{Waybackcite web |url=http://www.daily.co.jp/baseball/2007/11/25/0000749963.shtml |title=「別格」多田野に年俸1500万円超用意 |dateaccessdate=2011年3月4日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071127152912/http://www.daily.co.jp/baseball/2007/11/25/0000749963.shtml |archivedate=2007年11月27日 }} - デイリースポーツ(2007年11月27日)</ref>。
 
{{by|2008年}}1月6日、都内でランニング中に転倒し左手首を骨折。1月18日、破片状になった骨の回復手術を受け、患部にも手首固定のためプレートを埋め込まれる。シーズン開幕まで2か月以上の[[リハビリテーション|リハビリ]]および調整を行い、同年5月2日に一軍登録。その日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で先発し、7回を被安打1、失点0に抑え、日本球界初登板で勝利投手となった。その後もローテーション投手として好投を続け前半戦で6勝を挙げたが、8月以降の防御率は8点台と不調で、後半戦は1勝しか挙げられなかった。被本塁打の多さや、一度好投した相手でも二度目以降の登板では崩れる場合が多いことが課題として残った。
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9月8日の福岡ソフトバンクホークス戦で[[内川聖一]]にソロ本塁打を打たれるまで、11試合連続無失点を記録していた(イニング数は20回と1/3)。
 
{{by|2012年}}[[4月16日]]、[[埼玉西武ライオンズ]]戦にておよそ2年ぶりに1軍の試合で先発登板し、2009年8月27日以来963日ぶりの勝利を挙げた<ref>{{cite news |title=多田野963日ぶり○ 女房役大野に、大量援護に感謝 |author= |newspaper=スポーツニッポン |date=2012-04-16 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/17/kiji/K20120417003061790.html |accessdate=2013-02-12}}</ref>。また、チーム事情により谷間での先発起用が何試合かあったものの、シーズンを通して先発ローテーションを1年守り抜き、18試合に登板して6勝(5敗)、[[防御率]]3.70という成績を残した。2012年のレギュラーシーズンは、多田野復活を印象づけるシーズンとなった。[[11月1日]]、[[読売ジャイアンツ]]との[[2012年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第5戦で、日本シリーズ初登板を果たす。3回表2死2塁の場面で2番手として登板し、無失点で切り抜けるが、直後の4回表、バッターボックスに立った[[加藤健 (野球)|加藤健]]へのインハイの初球が球審の[[柳田浩一]]によって[[死球#危険球|危険球]]と判定され、退場処分となった(日本シリーズでの退場処分は[[1969年]]の[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]に在籍していた[[岡村浩二]]以来43年ぶりで通算2人目。危険球での退場は史上初めて)。しかし多田野の投じた球は打者には当たっておらず、この判定を巡って[[テレビ]]や[[新聞]]、[[インターネット]]など、各地で大きな議論を呼んだ<ref>{{Waybackcite web |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/11/01/0005497276.shtml |title=日本ハム多田野、疑惑の危険球退場 |dateaccessdate=2012年12月27日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121101115701/http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/11/01/0005497276.shtml |archivedate=2012年11月1日 }} - デイリースポーツ(2012年11月1日)</ref>。この一件について多田野は「'''だます方'''(加藤)'''もだます方。だまされる方'''(柳田)'''もだまされる方'''」と発言した<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/02/kiji/K20121102004463950.html|title=多田野 怒「だます方もだます方。だまされる方もだまされる方」|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2013-12-20}}</ref>。
 
{{by|2013年}}は4月に二度先発として登板したが、いずれも5回持たずに降板し敗戦投手となった。その後は二軍でも防御率4点台後半と振るわず、一軍の先発陣が不安定な中でも登板機会が巡ってこなかった。シーズン終盤の9月にようやく昇格すると、23日の楽天戦でロングリリーフとして5回2/3を1失点と好投を見せた。このことにより先発登板の機会を得た30日のロッテ戦では、6四死球を出しながらも6回まで無安打に抑え、勝利こそ挙げられなかったものの、7回無失点と復調を印象付けた。