「姉崎正治」の版間の差分

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==来歴==
[[京都府]]生まれ。少年期に仏教活動家[[平井金三]]の仏教系英学塾オリエンタルホールで英語を学ぶ<ref>[http://www.maizuru-ct.ac.jp/human/yosinaga/hirai_report.pdf 平井金三における明治仏教の国際化に関する宗教史・文化史的研究]{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }}吉永進一ほか、科研報告書、平成 16年度 ~18年度</ref>。[[第三高等学校 (旧制)|第三高等中学校]]を経て、[[1893年]]、[[東京大学|東京帝国大学]](現・東京大学)[[哲学]]科に入学。[[井上哲次郎]]、[[ラファエル・フォン・ケーベル|ケーベル]]について学ぶ。[[1896年]]、同大学同学科卒業。[[1897年]]には[[哲学館]](現、東洋大学)で「比較宗教学」を担当、講義し、前後して、浄土高等学院(現、[[大正大学]])、[[東京専門学校]](現、早稲田大学)でも講義を開始した<ref>『姉崎正治集 解説』</ref>。[[1900年]]に[[ドイツ]]・[[イギリス]]・[[インド]]に[[留学]]し、[[1903年]]に帰国。
 
[[1904年]]、同大学[[教授]]となる。[[1905年]]、同大学文科大学に[[宗教学]]講座を開設。日本の宗教学[[研究]]の発展の基礎を築いた。東京大学宗教学[[研究室]]には、彼の[[写真]]が今も飾られている。仏教、神道、キリスト教の三教の[[宗教家懇談会]]を主催する。また、諸宗教の相互理解と協力組織の[[帰一協会]]にも尽力する。