「サンシュ2世 (ポルトガル王)」の版間の差分

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| 継承者 =
| 継承形式 =
| 配偶者1 = メシア・ロペス・デ・アロ
| 配偶者2 =
| 配偶者3 =
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一方で王権の強化を目指し、父の政策を継いで教会の富を抑制する方針を取り教会への土地寄進・遺贈を禁じたが、教会と貴族の間の紛争に巻き込まれ、内政を乱す結果となった。これを理由に、高位聖職者たちは[[教皇|ローマ教皇]][[インノケンティウス4世 (ローマ教皇)|インノケンティウス4世]]に王の廃位を申請した。
 
[[1245年]]、教皇はサンシュ2世の曽祖父[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]の「封建申請書」と国土寄進をたてに教勅書を出し、王位を王弟アフォンソ(アフォンソ3世)に譲ることを命じた。サンシュ2世は[[トレド]]に亡命し死去、妃メシア・ロペス・デ・アロ([[ビスカヤ]]領主ロペ・ディアス2世デ・アロの娘)との間に子供が無かったため、アフォンソ3世が正式にポルトガル王に即位した<ref name="安部31">安部、P31。</ref><ref>マルケス、P49、P53、合田、P365。</ref>。
 
== 忠誠を尽くした城主 ==