「チャールズ・ダーウィン」の版間の差分

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Tomo1421 (会話 | 投稿記録)
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=== 人間の由来と性選択 ===
[[ファイル:Darwin ape.jpg|thumb|1871年雑誌載ったダーウィンを揶揄する風刺画。]]
 
人生の最後の22年間も病気の度重なる発作に悩まされたが研究を継続した。理論の要約として『種の起源』を出版したが、しかし「巨大な本」の論争的な面については十分に述べていなかった。論争的な面とは他の動物からの人類の誕生と、ヒトの精神能力・高い社会性の原因についてである。さらにまだ有用ではないが装飾的な美しさを持つ生物の器官について説明していなかった。娘が病気にかかったときには実験中だった植物や家畜をおいて一緒に海沿いの保養地へ行き、そこで野生のランに興味を引かれた。これは美しい花がどのように昆虫をコントロールし他家受粉を確実にするのかについて革新的な研究へと繋がった。フジツボと同様に相同器官は異なる種で異なる機能を持つ。家に帰るとツタ植物で一杯の部屋で病に伏した。この頃ダーウィンを訪れた客はドイツでダーヴィニスムスを広げたエルンスト・ヘッケルも含まれた。ウォレスはますます[[心霊主義]]の方向にのめり込んでいったが、それでも強力な支持者のままだった。ダーウィンの「巨大な本」の最初の部分は大きな二巻本、『植物の変異』に増大した。そのため人類の進化と性選択に関して記述することができなくなった。彼は自然選択に関する第二のセクションを書いたが存命中には未発表のままだった。