「早川雪洲」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Gakuinryou (会話 | 投稿記録) m →最後の栄光と晩年: typo |
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
84行目:
=== 日本凱旋と流転 ===
[[File:Thedaughterofthesamurai-japaneseposter1937.jpg|thumb|right|220px|『新しき土』のポスター(1937年)]]
1930年(昭和5年)、雪洲は単身帰国、日本での活動の可能性を探るための帰国であった。雪洲は自らのためにアメリカ人作家が書いた戯曲『[[あっ
1932年には初の日本映画『[[太陽は東より]]』に出演する。このころ出会った17歳のシズなる女性とも親しくなり、彼女は後に雪洲の子を二人(令子、富士子)産むことになる。さらに裁判が決着したはずのルースが子どもと面会できないといってたびたび雪洲の前に現れ、雪洲を困惑させる。1937年には日独合作映画『[[新しき土]]』が公開される。この映画で大抜擢されてスターとなったのが17歳の[[原節子]]であった。雪洲は原節子の父親役を演じた。
|