「サファリラリー」の版間の差分

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[[File:Nissan BlueBird P510.JPG|thumb|right|250px|510型ブルーバード]]
[[File:Nissan FairladyZ S30 rallycar.JPG|thumb|right|250px|S30型フェアレディZ]]
*[[1963年]] [[日産自動車|日産]]は、市販車の性能を海外の車種レベルに引き上げることを目的とし、WRCの誕生するより前からサファリラリーへの参戦を開始した。当時日本車はまだ国際的な認知も低く一流ドライバーとは契約は出来なかった。その為、監督は実験部部長の[[笠原剛三]]、ドライバーは実験部所属の[[難波靖治]](後のラリーチーム監督、[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]初代社長)をはじめとした社員ドライバーいう体制で挑んだ。
*[[1966年]] 日産は[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]410でクラス優勝を果たす。監督の笠原はこの時の記録を「栄光への5000キロ―東アフリカ・サファリ・ラリー優勝記録」という書籍にまとめた。ベストセラーとなり、[[石原裕次郎]]主演で「[[栄光への5000キロ]]」の題名で映画化もされた。
*[[1969年]] 日産ブルーバード510で総合3位、Dクラス優勝とチーム優勝を獲得した。(1位はフォード 2位はボルボ)