「マグヌス (ザクセン公)」の版間の差分

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[[1070年]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]][[オットー・フォン・ノルトハイム]]が[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]から皇帝暗殺を計画したとしてバイエルン公位を取り上げられた。マグヌスはオットーと同盟、ハインリヒ4世と戦ったが敗れて[[ハルツ城]]に投獄された。[[1072年]]に解放されたが、ザクセン貴族達はハインリヒ4世の措置に怒り反乱を起こした([[ザクセン戦争 (ハインリヒ4世)|ザクセン戦争]])。[[1074年]]で一旦和睦したが、翌[[1075年]]の[[ホムブルクの戦い]]で敗れて再度投獄、ハインリヒ4世に降伏した。
 
しかし、ハインリヒ4世が[[教皇|ローマ教皇]][[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]と[[叙任権闘争]]で争うと、マグヌスは[[対立王]][[ルドルフ・フォン・ラインフェルデン|ルドルフ]]と共にハインリヒ4世に反抗した。その後和解したが、[[ブレーメン]][[大司教]][[{{仮リンク|ハンブルクのアダルベルト|en|Adalbert of Hamburg|label=アダルベルト]]}}と紛争を引き起こした。
 
[[1106年]]に死去。息子が無かったため、ビルング家は断絶した。同年にハインリヒ4世も亡くなり、後を継いだ[[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]はザクセン貴族[[ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)|ロタール・フォン・ズップリンブルク]]をザクセン公に任命、ロタールは後にハインリヒ5世亡き後の皇帝に即位した(ロタール3世)。ロタール3世からザクセンを相続した[[ハインリヒ10世 (バイエルン公)|ハインリヒ傲岸公]]、傲岸公からザクセンを奪った[[アルブレヒト1世 (ブランデンブルク辺境伯)|アルブレヒト熊公]]はマグヌスの外孫である。