「京極夏彦」の版間の差分

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しかし、[[バブル崩壊]]後の不景気で会社の仕事はあまり無い底冷えが続く。そんな中で思いついた企画書をいくつか作った後の暇な時間に何となく小説『[[姑獲鳥の夏]]』を書いた。そして、休日に出かける金も無い[[1994年]]のゴールデンウィークに、「会社で小説書いちゃったから印字代とかがもったいない」という軽い気持ちで出来れば原稿に使った用紙とインク代の元だけでも稼げればと、威張った編集者に門前払いをされることも期待しながら[[講談社ノベルス]]の編集部に電話をかけた<ref name="pocket">『[[IN★POCKET]]』2009年6月号 『邪魅の雫』文庫刊行 京極夏彦 『姑獲鳥の夏』から15年を語る</ref>。編集者は京極に、返事には数カ月から半年かかると伝えたが、箱入りで届いた『姑獲鳥の夏』の原稿を読み始めると、予想外に読みふけり1日で目を通し終え、まず「著名な作家が編集部の[[リテラシー]]を試しているイタズラでは」と感じたといい、また原稿を送って僅か2日で返事を貰った京極も、「まさかのドッキリではないか」と思ったという<ref name="pocket" />。この作品は、上記のように仕事の合間の暇つぶしに書かれたもので、小説の執筆は京極にとって初めてのことであった。作品の構想は、10年前に考えた漫画のネタという。
 
原稿を読んだ編集者である唐木厚により、すぐに講談社ノベルスとしての発売が決定した。『[[狂骨の夢]]』の発売日(1995年5月)にプロフィール等が解禁され、[[集英社]]・[[中央公論社]]・[[新潮社]]と続々と執筆依頼が舞い込んだ。自分の会社に対して『姑獲鳥の夏』発売時点では、まだ思いがけず本があっさりと発売されたことの恥ずかしさで伝えれずにいたが、講談社からの依頼で『[[魍魎の匣]]』執筆に入る段階で隠すのが心苦しくなって事情を話し、さらに『[[狂骨の夢]]』発売後になると、他の出版社から執筆依頼が殺到しだすことで会社での仕事は出来にくくなったため、会社は一旦退職して、しばらくの後に外部スタッフとして仕事も継続することとなった。その後は京極の縁で自身の単行本や出版社の一部の書籍デザインを会社が担当している。
 
2010年5月28日、日本での[[iPad]]発売と同日に『[[死ねばいいのに]]』を[[電子書籍]]として発売。また2011年10月14日には四六判・ノベルス・分冊文庫・電子書籍の4形態で『[[ルー=ガルー 忌避すべき狼|ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔]]』を発売。これは出版史上初のことであった。