「清水義範」の版間の差分

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中学時代からSFファンで、自身でSF同人誌を発行。[[半村良]]の面識を得て、大学卒業後、半村の勧めで上京し半村に師事<ref>半村原作『軍靴の響き』コミカライズ版へ清水が寄稿した追悼文によれば、教わったのは食い物や酒のことばかりだったという</ref>。[[1977年]](昭和52年)から[[ソノラマ文庫]]を活動の場とし、『宇宙史シリーズ』など[[サイエンス・フィクション|SF]]を中心に多数の[[ジュブナイル]]作品を発表した。
 
その後、短編集『蕎麦ときしめん』では[[司馬遼太郎]]の文体で[[猿蟹合戦]]を叙述したり(『猿蟹の賦』。猿蟹合戦ネタでは他に[[丸谷才一]]の文体を用いた『猿蟹合戦とは何か』も発表している)、『日本人とユダヤ人』やそれをめぐる状況のパロディとなっている表題作など様々な[[パスティーシュ]]の手法が用いられている。{{要出典範囲|date=2016年1月4日 (月) 09:09 (UTC)|この作風の作品は、学生時代から同人誌などに書いていたが、「こういったものは、きちんとした作品ではない」と自身で封印していた。だが、いざ発表してみると非常に好評であり}}、以降この手法を用いた短編を書き続け、その数は数百編に達する。この他にもユーモア色の濃い[[推理小説]]のシリーズを複数手がけたり、自伝的な青春小説シリーズを執筆している。{{要出典範囲|date=2016年1月4日 (月) 09:09 (UTC)|なお本人は、パスティーシュ作家と指摘されるまで、パスティーシュという言葉を知らなかったという}}
 
また、[[加藤清正]]と[[高台院|北政所]]が[[名古屋弁]]で会話する[[ショートショート]]『決断』を書いて以来、名古屋弁など[[名古屋市|名古屋]]を前面に押し出した「名古屋もの」と呼ばれる作品を多数著し、[[大須演芸場]]で「[[名古屋弁]]を全国に広める会」の功労賞を受賞。名古屋名誉市民になった。最近では「お勉強シリーズ」をはじめとした[[西原理恵子]]とのコンビ作品がある。