「トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
1個の出典を修正し、0個にリンク切れのタグを追加しました。 #IABot (v1.5.2)
編集の要約なし
24行目:
| 役職 ={{仮リンク|海軍卿 (イングランド)|label=海軍卿|en|Lord High Admiral of England}}([[1513年]]-[[1525年]])、{{仮リンク|大蔵卿 (イングランド)|label=大蔵卿|en|Lord High Treasurer}}([[1524年]]-[[1546年]])、[[軍務伯]]([[1524年]]-[[1547年]]、[[1553年]]-[[1554年]])、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員
}}
'''第3代[[ノーフォーク公爵]]トマス・ハワード'''({{lang-en|'''Thomas Howard, 3rd Duke of Norfolk, {{Post-nominals|post-noms=[[ガーター勲章|KG]], [[枢密院 (イギリス)|PC]]}}'''}}、[[1473年]] - [[1554年]][[8月25日]])は、[[イングランド王国|イングランド]]の貴族、廷臣。
 
第2代ノーフォーク公爵[[トマス・ハワード (第2代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]の息子として生まれる。[[1513年]]のスコットランド軍の侵攻を父とともに撃退したことで[[イングランド王]][[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の信任を得、その宮廷で権勢をふるった。[[1524年]]に第3代[[ノーフォーク公爵]]位を継承。姪2人([[アン・ブーリン]]、[[キャサリン・ハワード]])をヘンリー8世の王妃にしたが、この2人の姪はいずれも姦通罪で処刑された。やがて彼自身もヘンリー8世の信任を失い、[[1546年]]に[[ロンドン塔]]に投獄されたが、[[1553年]]に[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー女王]]即位に貢献したとされて釈放と復権が認められた。[[1554年]]に死去。爵位は孫の[[トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)|トマス]]が継承した。
116行目:
{{end box}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:のふおくこうしやく03 はわと とます}}
[[Category{{DEFAULTSORT:ノーフォーク公|のふおくこうしやく03 はわと とます]]}}
[[Category:ノーフォーク公|はわあと とます]]
[[Category:サリー伯|はわあと とます03]]
[[Category:ハワード家|のふおくこうしやく03 とます]]
[[Category:ガーター勲章]]
124 ⟶ 126行目:
[[Category:1473年生]]
[[Category:1554年没]]
[[Category:イギリスの公爵]]